暗い。
街灯の灯りすら掻き消され、この街が死んでいるということをまざまざと見せ付けられる。
静寂が支配する青葉公園をライドウは走っていた。
独り、でだ。
いつも傍らにいるゴウトとはついさっき逸れてしまったのだ。
出来るだけ足音を立てないように、誰にも気配を悟られないように十分な気を回して走る。
この時ばかりは自分が羽織っている真っ黒なマントに感謝した。
普段はあくまでも身に着けている武器を隠すためだけの飾り物だが、今は闇夜にまぎれることが出来る。
もうゲームは始まっている。
そして、このゲームに乗った人間もいるということを彼は知っていた。
自分と同じくらいの背丈の男が、通りかかった青葉公園で死んでいたのだ。
それも強烈な火力で焼かれ、かろうじて留めていた骨格で性別と身長が解るだけという壮絶な死に様だ。
ライドウは葛葉の里での過酷な修行を潜り抜け、
「十四代目葛葉ライドウ」の名を襲名後、年齢不相応の修羅場を潜り抜けてきたつもりだったが、
こんなにも容赦の無い殺し方を目の当たりにしたのは初めてだった。
しかもやったのはおそらく自分と同じ人間。このエリアなら悪魔ではないはず。
先ほど集められた教室にいたのは殆どが自分と同じ年頃の少年少女…。
軍人等に代表される戦い慣れた人種は殆ど見受けられなかった。
極限の状態で人は何処まで残酷になれるのか…。
そんな永遠に解けない謎を考えている時間は無い。
何しろ、先ほど見た死体を作った人間以外にやる気になっている男もいたのだ。
その男は白い学生服を身に纏い、たまたま鉢合わせになったライドウに向かって、
何の躊躇も無く、いきなり無差別魔法を叩き込んで来たのである。
そしてこの状況で奴は何を考えているのか高笑いしながら自らを「魔神皇」と名乗った。
そしてライドウのことを「最初の生贄」とも。
この言葉からライドウと出会う前に既に死んでいたあの男を殺した者では無いということが伺える。
兎に角、逃げるのに必死で詳しい顔の造詣や持っている武器を確認している暇は無かったが、
奴が投げかけた、暗い狂気に駆られた眼を忘れることは今後絶対に無いだろう。
それに皇を名乗るだけあってかなりの使い手だ。
あの魔法以外にも切り札をいくつも持っていると考えるのが無難だ。
いきなり恐ろしい敵に当たってしまい、その時うかつにもゴウトと逸れてしまったのである。
魔神皇と名乗った男や、黒焦げの男を仕留めた相手の対策もそうだが、
どうにかしてゴウトと再び合流しなければならない。
連絡を取る手段が全く無い状況下でどうやって合流するかは皆目見当つかないが…。
(まだ、追ってきているかもしれない。)
ライドウは走りながら背後をちらりと振り返った。
果てしない闇が延々と続いている。
幸い、誰もいなかった。いや、気配を完全に殺しながら追って来ているのだろうか。
解らない。
今までもダークサマナーのラスプーチン、伽耶に憑きし者等、自分より格上の相手と戦うことはあったが、
それはあくまでも万端な準備の上での話だ。
今は最大の武器である仲魔も、愛用の刀も銃も抜き取られた丸腰状態な上、彼は魔法という能力が無いのである。
一応武器は支給されていたがライドウにそれを使いこなせる自信は無かった。
支給された武器はクロスボウ。
上手く使えば猛獣を一撃で仕留めることも可能な優れものだが、装填に時間がかかり、この暗闇では狙いも定め難い。
第一、彼はクロスボウに触れるのが初めてなのである。
これを使おうにも先程のようにいきなり魔法をぶつけられたら終わりだ。
事態は最悪だった…。
「ライドウ、ライドウだろ?」
細心の注意を払い、直角の曲がり角を曲がった所で自分を呼ぶ声が聞こえた。
ライドウは咄嗟に身構えたが、それはよく知っている人物の声だったので、ほんの少しだけ気を緩めた。
「鳴海さん…?」
「そうだ。こっちこっち。」
ライドウの横にある古いビルの裏口と思われる錆びたドアがかすかに開き、
見知った天パ頭の男が顔を出し、小さく手招きした。
(本当に鳴海さんだ…。)
声にこそ出さなかったが、ライドウはこのゲームが始まって以来初めてほっと胸を撫で下ろした。
自分と同様、魔法の力が一切無い鳴海と合流したからとは言え、
依然自分が死と隣り合わせであることに変わりは無いが、
それでも信頼を置ける人物と同行出来るのは精神的に大きな支えとなる。
ライドウはそのビルのドアに向かって歩いた。
鳴海に招かれたビルの中は、乱雑としていた。
元はオフィスだったのだろう。事務用机や本棚はいくつかあったが、
書類は床にばら撒かれ、ファイルや雑誌の類も滅茶苦茶に転がっていた。
しかも壁に血糊がべったりと着いており、こんな所でも死闘が繰り広げられたのかと思ったが、
その血糊は乾き、既に黒く変色しているので少なくともこのゲームには関係の無いものだろう。
鳴海はライドウが中に入るとすぐさまドアを閉め、厳重に鍵を掛けた。
その上で重い本棚と机で厳重なバリケードを作る。
よく見ると全ての窓にも同じように塞がれていた。
そして、バリケードを作る鳴海の右腕は負傷しており、
腕まくりをして布の切れ端で止血をしていた。
「どうしたんですか、その傷…」
「あぁ、ちょっとな。」
それ以上は言わなかった。だが、他の誰かにやられたことは明確だし、
そもそも説明の付かないような事態なのだから仕方が無い。
ライドウはそれ以上のことは詮索しないことにした。
感染症等の心配はあるが、すでに血が止まっており、
本人も足取り一つ乱さずに動き回っていることから致命傷には至らなかったようだ。
「ライドウ、先に確認しておくぞ。お前、このゲームに乗るのか? 乗らないのか?」
バリケードを完成させ、こちらに向き直った鳴海は鋭い視線を向けた。
それは今までに見たことが無い、こちらを射抜くような眼であった。
じっと見つめながら、鳴海は密かにズボンのポケットに手を忍ばせていた。
おそらく、ポケットの中に鳴海に支給された武器が入っているのだろう。
ポケットに入る大きさだから、武器は折りたたみ式のナイフか、爆薬の類か…。
ライドウは息を呑んだ。答え方によっては鳴海とすら殺しあわなければいけない。
本当は自分自身、急な襲撃を受けた上、頼りにしていたゴウトと逸れ、混乱してしまい、
この先のことなんて考えている余裕は無かったが、鳴海と戦うのは避けたかった。
だからこう答えた。
「どうにかして逃げる方法を考えています。
僕は誰であろうと殺したくはありません…。」
数秒の沈黙があった。その間、二人は視線をかち合わせたまま微動だにしなかった。
だが、先に動いたのは鳴海の方だ。
「はぁー、良かった〜。」
「??」
いきなり緊張を解き、鋭い視線からいつもの気の抜けた鳴海に戻り、
ライドウは男の心境の変化に付いて行けずきょとんとしてしまった。
「鳴海さん?」
「もしお前が乗り気だったらどうしようかと思ってたよ。
お前に本気で掛かって来られたら絶対に勝てる気がしないもんなぁ。
いざと言う時はこいつを使って逃げようと思ってたんだよ。ま、冗談だけど。
お前を信じてたよ、ライドウ。」
いかにも軽く演じられた口調を作りそう言いながら、
鳴海はポケットの中にある自分に支給されたらしき武器を取り出した。それは小さな丸い爆弾のような物である。
手榴弾だったとしたらかなり精度の高い武器になるが、残念ながらそれはただの煙玉である。
単に大きな破裂音が出て大量の煙が出るだけの物なのだから、眼くらまし程度には使えそうだが武器としては落第だ。
「と、言うことは鳴海さんも逃げようと思ってたんですか?」
「…あぁ、まあな。」
最初からそう決めていたとは思えない端切れの悪い返事だ。
この男との付き合いは長いが、どうにも読めないところがある。
いつもはチャランポランだが急に真剣になったり、大概の面倒ごとは自分に押し付けると思ったら、自分から率先して危ない橋を渡ろうとしたり…。
「それで、だ。」
ライドウが突っ込む前に鳴海は勝手に話し始めた。
「此処に来て最初に出会ったのがお前で本当に安心したよ。
実は此処にたどり着く前にちょっと拾いものがあったんだ。会ってくれないか?」
言いながら鳴海は背後にある崩れかけた階段をくいっと指差した。
どうやらその人物は上の階にいるらしい。
「はぁ、いいですけど…」
さっさと名前を出さない辺り、顔見知りでこのゲームに参加させられた人物、タヱか伽耶では無いのだろう。
はたしてそれは安全な人物なのだろうか。信用は出来るのか? どうして鳴海と一緒にいるのか?
様々な疑問がライドウの頭を駆け巡ったが、此処でじっとはしていられない。
それにほぼ丸腰の状態で鳴海と別れ、外に出ることはもっと危険だ。
またさっきの魔神皇に襲われるかもしれない。
…その人物に会うしか無かった。
ライドウは鳴海に促されるまま、後を追い、暗い階段を上る。
ビルの二階に上がり、一つの扉の前で鳴海はノックする。出来るだけ響かないようにゆっくりと。
「誰?」
中から静かな少女の声が聞こえた。いかにも大人しそうで、まるで伽耶のような…。
「俺だ…鳴海だ。信用の置ける仲間を連れてきた。開けてくれないか?」
「鳴海さん…? はい、ちょっと待って下さい。」
中から小走りな足音が聞こえ、ゆっくりと、慎重にドアの鍵が外され、ノブが内側から回された。
恐る恐るほんの少しだけドアが開き、中から蒼白な顔の少女が顔を出す。
真っ黒な髪を肩の辺りで切りそろえ、眼鏡を掛けている。
細面で色の白い顔は、知性的で整っており、美しくもあった。
だが表情は怯え気っており、潤んだような眼で鳴海とライドウを交互に見合わせていた。
「こちらはさっき話した俺の部下の葛葉ライドウ。
大丈夫だ。こいつもこのゲームには乗らないって言ってくれた。」
「……。」
無言の少女にライドウは静かに語りかけた。
「いきなりこんなことになって見知らぬ人間を信じろってのは無理だと思う。
だけど、鳴海さんが大丈夫って言ってる以上、僕は貴女を殺したりはしない。それだけは約束します。」
しばし少女はライドウを不安そうに見つめていたが、ややあってドアを開けると二人を部屋に入れた。
「私、赤根沢レイコと言います…。さっき鳴海さんに助けていただいて。」
レイコという少女は伏し目がちにそう言った。
レイコと名乗る少女の待機していた部屋は六畳程度の小さなものだが、おそらく居住区だったらしい。
畳が敷かれ、小さいながらも流し台とガスコンロが設置されていた。
だが随分と長い間誰も使っていなかったのだろう。他の家具らしい物は無く、また畳にうっすらと埃を被っていた。
畳と同じく天井の蛍光灯の傘にも埃をかぶっていたが、電球が壊れている。使い物にはならないだろう。
この殺風景な部屋にある物と言えば支給された黒い鞄が二つ、部屋の中央に転がっているだけだ。
ライドウも二人と同じ所に鞄を置いた。
鳴海は窓に掛かったカーテンをしっかりと閉じ直すと、鞄から簡易ランタンを取り出し灯を点けた。
うっすらと黄色い灯りが三人の顔を照らす。
鳴海とライドウは畳に上がる時も靴を脱がなかった。レイコも同じだ。
この非常識な状況である。何かが起こればすぐに逃げ出せるような配慮だ。
ようやく形だけでも落ち着いた所で三人は腰を下ろし、鞄に入っていたルールブックを見ながら状況を整理した。
このスマルという街は浮遊しており、脱出はほぼ無理であること。
ゲームの主催者は不明。だが自在に爆破出来る呪いの刻印を一度に多数設置出来ることからかなりの使い手だということ。
参加者の名前だけは数十人全員分、ルールブックに挟んであった名簿に載っているが、
ライドウの知っている人物は鳴海とタヱと伽耶、そして今目の前にいるレイコという少女だ。
ゲームの制限時間は72時間で、その間に参加者は殺し合いをし、最後の一人になったところでゲームは終了。
その一人だけはこの街を脱出出来、一つだけ何でも願い事を叶えてもらえるらしい。
だが24時間の間に一人も死者が出なかった場合は全員の刻印が爆発する。
武器は何を使ってもかまわないが支給されている物は完全にランダム。ただし、魔法や悪魔を使役するのは可。
簡単に言うとこんなものだ。
街が空に浮き、首に刻印が付いている以上逃げるのはほぼ不可能である。
状況を確認した所で事態が好転するわけでは無かった。
それにライドウは見ず知らずの人間を殺すことに抵抗が大きい。
鳴海も、このレイコという少女を殺さずに助けたことから同じなのだろう。
だが鳴海はどうしてこの少女を…?
「俺たちが出会った経緯を話しておくよ。」
ライドウが疑問を口にする前にその本人から説明を始めた。
赤根沢レイコが飛ばされた先は青葉公園という大規模な公園だった。
近代的なスマル市においても緑を多く取り入れ、遊歩道の幅も広く見通しも良い。
つまり、ここにいる限り、自分が飛び道具でどこから狙われても仕方が無いということだ。
突然なことで頭の中はパニック寸前だったが、自分が開始早々かなり危険な状況であることだけは理解出来た。
レイコは足元に転がっている鞄を拾い、隠れることの出来そうな物陰を探した。
周囲には観葉植物が丁寧に植林されている花壇くらいしか見当たらないが、こんなだだっ広い道の真ん中で突っ立っているよりはマシだろう。
レイコはそちらに向かって歩き出した。
周囲をきょろきょろと見回し、花壇を覗き込む。だが、その時先客を見つけてレイコは悲鳴を上げそうになった。
頭部が大きく禿げ上がり、スーツを着た一人の中年男がそこに身を潜めていたのである。
「こ、声を上げないでくれっ。わ、私は半谷、聖エルミン学園の教頭だ…!」
半谷という男も参加者なのだろうが、いかにも脆弱でこの状況に混乱しているようだった。
だがレイコは見逃さなかった。男の手が、自分の背中に忍ばせられているということに。
「今騒がれたらそれを聞いて人が集まってしまうからねぇ!」
男は冷酷に顔を歪ませると、支給された武器、手持ちの電動ドリルを振り上げた。
その時、レイコと同じく青葉公園に飛ばされた鳴海は、見晴らしの良い木の上によじ登り、小型の双眼鏡で周囲を見渡していた。
この双眼鏡は支給された武器では無く、鳴海の私物だ。一応彼は探偵を名乗っており、これは彼の仕事に必要不可欠な物なのだ。
「お?」
双眼鏡に、一人の少女が写った。年齢は彼の部下であるライドウより少し年下だろう。
青いブレザーとストライプのスカート姿で、眼鏡を掛けている。
かなり美しい少女だったが、長髪好みの鳴海に反してショートヘアなのが残念である。
少女はしきりに後ろを警戒しながら走っていた。その後を追うのはドリルを片手にした中年男である。
無抵抗な女の子を凶器を持って追いかけるとは、普通なら見過ごせない状況である。しかし今は普通ではない。
しばらく様子を見ようと思っていたが、鳴海はあることに気づいた。
追いかけられている少女が、かなり強力な力を秘めていることである。
どういう力かは説明に困るが、何か強大な神のようなものが彼女の背後に見える気がするのである。
対して男の方は何の力も持たない一般人だ。おそらく少女の能力についても気づいていないと思われる。
この少女が本気を出せば一瞬で相手の息の根を止めることが可能だ。そもそも潜在能力自体が違い過ぎるのである。
だが少女は逃げるばかりで攻撃をする素振りが全く無かった。
(何かありそうだな。)
この時の鳴海の行動はかなり無謀だったと思う。
だが、ひょっとしたらこの少女の存在が、ゲームを下りる何かのきっかけになるのではないかと直感したのである。
逃げる少女と、それを追うドリルの男。二人は何と都合の良い事か、鳴海のいる木の方向に向かって走ってきた。
いつもながら、自分のずば抜けた幸運さに感謝を忘れない。
鳴海は音を出来るだけ立てないように木の枝を一本折った。あまり曲がっていない、丈夫な枝を選んで。
そして頃合を見計らい、槍投げの要領でその枝を男に向かって投げつけたのだ。
「うわっ!」
男は急な襲撃に声を上げた。情けない悲鳴である。
本当は顔面を狙ったつもりだったが、当たったのはドリルを持っている方とは逆の左腕である。
こんな即席の枝が刺さるとは思っていなかったが、狙いがずれたのはいささかショックである。
いつも肉弾戦は部下に任せきりだからか、こうも腕が鈍ってしまっていたとは…。
次から、少しは自分でも現場に赴くことにしようと心に決めながら鳴海は木の上から飛び降りた。
突然上から降ってきた謎の人物に男だけではなく、追われていた少女も驚いたようだが、その隙に鳴海は男の懐に詰め寄った。
「なっ何だね君は! やるのかね? このドリルと! せっかく一人獲物を見つけたのに!」
間近に見ると男はいかにも邪悪そうな顔つきをしている。だが何の威風も感じさせない小者特有のいやらしい顔立ちだ。
例えばもし、この男が自分の学校の教師だったりしたら、すぐに転校を考える所である。そんな面構えだ。
もうこれだけで良かった。鳴海にとってはこの顔だけで手加減しないで済む理由になった。
「どう見たってお前が悪役にしか見えないんでね。」
「き…貴様ぁ!」
男は鳴海の軽口に一瞬で激昂し、無茶苦茶にドリルを振り回してきた。
「うおっ!」
思っていたよりも身軽な動きで迫ってくる。少々相手を舐め過ぎていたようだ。
後退しながら鳴海はポケットに突っ込んだ拳の感覚を確かめていた。その時うっかり、男のドリルの先端を右腕に掠めてしまった。
傷は大して深く無いようだが、動脈に触れたのだろう。血が派手に吹き出した。
「おぉ、やったぞ!」
その流血に男は歓喜し、油断したのである。これも小者特有の浅はかさで鳴海は安心した。
「やってないから。」
小さくそう呟くと、最速の動きで鳴海は拳を男の腹にぶつけた。
ガードの仕方すら心得ていない男の無防備な腹部に拳はめり込み、男は汚らしい反吐を吐きながらその場に崩れた。
鳴海の拳には鞄の中に入っていた黒く、何かの文様が掘り込まれたメリケンサックが嵌められていたのである。
それで力いっぱい殴られたのだから、男はたまらない。
念のためうつ伏せで倒れる男を爪先で小突いて確かめたが完全に気絶しているようだった。
「あの…」
その一部始終を眺めていた少女が不安げに鳴海を覗き込んだ。彼女の視線はどちらかと言うと鳴海本人よりも腕の傷が気になるらしい。
だが、鳴海はあえて違うことを言った。
「大丈夫、殺してはいないよ。」
ただ、鳴海の計算では男が目覚めるのは数時間後だろうから、ここに放っておくのは危険だろうが、そこまで面倒を見ていられない。
(事実その数分後、たまたまそこを通りかかった新田勇によって男はあっさりと止めを刺されるのだが、そんなこと鳴海の知る由も無かった。)
「とにかく逃げるぞ。」
鳴海はまだ戸惑いを拭い切れていない少女の腕を強引に掴むと走り出した。
鳴海とレイコの出会った経緯はこれで解った。
何とも鳴海らしい判断の仕方で、この状況下でも変わり無いように見える彼に少し安心したライドウである。
だが、彼の話の中から一つのことが気に掛かった。
「お二人の事情は解りましたが鳴海さん、貴方が使ったというメリケンサックは何処で手に入れたんですか?」
全員に配布されているルールブックを読む限り、支給される武器は各自最大で一つのはずだ。
だから鳴海の武器はあの煙玉ですでに枠が埋まっているはずなのだが…。
そう言えばそうだと、レイコも鳴海の顔を見やった。
もしかしてレイコと出会う前に、鳴海は既に誰かを殺し、武器を奪っていたのでは…?
そんな疑問が頭をよぎる。
当の鳴海は二人の視線に、居心地が悪そうな素振りで後ろ頭を掻いた。
「それが俺にも解らないんだよ。最初から煙玉なんかと一緒に入ってたもんだし。」
その口調から、嘘を言っているようには見えなかった。
「ちょっと見せてもらえませんか?」
「あぁ。」
手を差し出すライドウに、鳴海は例のメリケンサックを放った。ライドウはそれを上手くキャッチするとじっと観察する。
……もしやと思っていたが、無骨な鋼の表面に掘り込まれた文様を見て確信した。
彼らが根城にしている矢来区筑土町にある金王屋という骨董品店の地下に住んでいる、
マッドサイエンティストのヴィクトル博士が以前言っていた。
いつか悪魔の召還・合体を簡略化出来る小型の機械を発明したいと。
おそらく、これは博士が言っていた機械の亜種に違い無い。表面に彫られた文様が、葛葉に伝わる封魔の文字と酷似していたからだ。
「…これはおそらく悪魔を使役するための道具です。僕の管みたいな。」
「やったじゃないかライドウ、それを使えば…!」
悪魔召還師が悪魔を使役出来れば鬼に金棒である。かなりの戦力が見込めるということだ。
単純にそう思った鳴海は嬉しそうに身を乗り出した。だが、ライドウの表情は曇っていた。
「残念ながらこれは僕には使えません。これは…僕の管と規格があまりにも違いすぎる。
おそらくこれは、僕以外のサマナーが自分に合わせて作らせた物でしょう。」
ライドウの口からそう聞いた鳴海はがっくりと肩を落とした。レイコも心なしか残念そうな表情だ。
「だが、こいつは格闘用には使えるな。俺が持っておくよ。」
鳴海はすぐに気を取り直して楽天的にそう言うと、ライドウの手からメリケンサックをひょいと取った。
確かに、剣技と射撃を集中的に修行してきたライドウよりも軍隊格闘を身に着けている鳴海が持っていたほうがいいだろう。
まさかいかにも頭脳戦専門に見えるレイコに使いこなせるとは思えない。無難な選択だった。
「で、ライドウの方はどうだった?」
「僕の方は…。」
ライドウは謎の教室から見知らぬ街の通りに転送され、此処に至った経緯を話した。
まともに使いこなせる武器が無いからひたすら逃げ回っていたこと。
既にやる気になっている人物が最低二人はいるということ。
その一人は青葉公園で一人焼き殺している。
そしてもう一人は、自らを「魔神皇」と名乗っていたということ…。
その「魔神皇」という言葉を聞いてレイコがぴくりと反応した。
「葛葉さん、その人とは何処で会ったんですか? 教えてください!」
レイコの剣幕は今までと違っていた。依然顔色が悪いことに変わりは無いが、鬼気迫るものがあった。
ライドウはレイコの突然の変化に驚きを隠せなかった。だが、静かに首を横に振った。
「すみません、僕も逃げるのに必死だったので…それに大切な仲間ともその時逸れてしまい…。」
「そう…ですか…。」
レイコは眼を伏せた。複雑で、曇った表情だった。
「その魔神皇とやら、レイコちゃんと何か関係があるのかい?」
こういう時、鳴海のような率直な性格が心底羨ましいとライドウは常々思っていた。
自分にはこうもあっさり疑問を投げかけることは出来ないからだ。
レイコは少し間を置いた後、ほんの少しだけ顔を上げて途切れ途切れに話し始めた。
「あまり…あまり話したことは無いのですが…私のかけがえの無い人なんです…。
どうしてあんな風になってしまうまで、私に打ち明けてくれなかったのか…それが気がかりなんです。」
ライドウと鳴海はお互いの顔を見合わせた。
レイコと魔神皇との決定的な関係こそ解らない言い回しだが、おそらく二人はかなり深い絆で結ばれているのだろう。
だが薄くもやが掛かっているような彼女の表情から、さすがの鳴海もこれ以上のことを聞き出すことは出来なかった。
レイコはしばらく押し黙っていたが、ふいに顔を二人に向きなおし、今までで一番はっきりとした声で言い放った。
「鳴海さん、葛葉さん、私…魔神皇…彼を説得します。」
「無茶だ!」
ライドウは眼を見開き、レイコの肩を掴んだ。
普段、感情を押し殺し、表情すら殆ど変えないライドウにしてはあまりにも珍し過ぎる反応だった。
魔神皇の力を目の当たりにしたからこそ、ライドウはそう言えるのだろう。
「貴女は魔神皇の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ! あの男は…危険過ぎる…!」
先刻、ライドウと鉢合わせした時に、何の躊躇も無く魔法を浴びせかけてきた。
そして高笑い。まるでいじめられっ子が急に圧倒的な力を手にし、いじめっ子をいたぶるかのような。
殺戮が嬉しそうで仕方が無かった。
何より恐ろしかったのはあの眼である。慈愛など欠片も無く、ただ、狂気に打ち震えているようだった。
それを説得だなんて、あまりにも無謀すぎる。見つかった瞬間に消されるのが落ちだ。
だがレイコも折れなかった。
「でも私には、出来ると思うんです! いえ、私にしか出来ないんです、彼を助けることが!」
魔神皇を助ける? どういう事だ? レイコは続けた。
「それに…自分の身は自分で守ります…私の武器、これなんです。」
レイコは肩に掛かったライドウの手を払うと、自分のバッグから一振りの刀を取り出した。
脇差と呼ばれる短い刀だった。ライドウが愛用していた太刀のように居合いには向かないが、その分小回りが利く刀である。
「だがしかし…!」
言葉を言いかけた所で、ライドウはがばっと立ち上がった。
そして、徐にレイコの脇差を奪い取ると、カーテンの閉じられた窓を開き、そのまま外に飛び出した。
レイコは言葉を失い、鳴海も窓から半身を乗り出して何度も彼の名を呼んだが、ライドウは戻って来なかった。
「クソっ…。一体何だってんだ!」
ライドウの勝手な行動に苛立った鳴海は、錆びた窓枠を殴りつけた。
遠い所で声が聞こえた。あまりにも儚く、鳴海とレイコには聞こえなかったのだろう。
それくらい遠い所からだったが、鍛え抜かれた聴力を持つライドウにははっきりと聞こえた。
まだ少年と言ってもいいような男の声で、確かにこう言っていた。
『みんな聞いてくれ! 僕たちには殺しあう必要なんて…』
その先は銃声のようなけたたましい音で掻き消された。声の主は生きているのか、殺されてしまったのか…。
だが、まだ生きていたとしても何と無謀な…!
やる気になっている者の存在を知っている以上、ライドウは動かずにはいられなかった。
自分たち以外にも、人を殺すことに躊躇っている人物がいる…!
彼を死なせるわけには行かない…!
ライドウは自分の身も十分に危険な状態であることすら忘れ、脇差を片手に声のした方に向かって走った。
【葛葉ライドウ 所持品:クロスボウ・脇差 現在位置:廃墟ビルより移動】
【鳴海:片腕負傷 所持品:煙玉・何かの機械 現在位置:廃墟ビル内】
【赤根沢レイコ 現在位置:廃墟ビル】
【反谷孝志(ハンニャ)(ペルソナ2罪・罰):死亡 現在位置:青葉公園】
【残り ?名】
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