目を開けた時、見えたのは天井だった。
高い天井。人工の明かりが眩しい。背中には、硬い床の感触。
建造物の中だ。次第に意識がはっきりとしてくる中で、それをまず認識する。
次に浮かび上がったのは、疑問。
あの場所は屋外だった。そこで意識を失ったはずが、何故こんな場所にいるのか。
誰かに、ここまで運ばれたのか?
――誰に?
その疑問の答えは、不意に目の前に現れた。
「やあ。気が付いたかい」
こんな状況で、見知らぬ相手を前にしているというのに、警戒の色もない柔和な表情で。
スーツ姿の男が、細い目を更に細めて覗き込んできたのだ。
「あなたが、助けてくれたのか……」
「助けたってほど大したことはしてないさ」
壁に凭れて床に座ると、男はポケットから煙草を取り出して咥え、火をつけた。
濁った白い煙が、ゆっくりと立ち上り始める。
「ここに引きずってくるのが精一杯だったよ。君が重いものだから」
冗談めかして言う彼は確かにひょろりとした体格で、大の男一人を運ぶには明らかに力不足だ。
――が、重かった、というのは体格差だけの所為ではないだろう。
脇腹に手を触れる。固まった血と、それとは違う硬い、冷たい感触。
あれからどれだけ時間が経ったのかは判らないが、石化は確実に進行している。
「傷、痛むかい?」
傍らに座る男が、心配そうに覗き込む。
「支給品の傷薬で、簡単な手当てだけはしておいたんだが……ただの傷じゃなさそうだな」
そういえば、先程よりも僅かに痛みは治まっている。
「……ありがとう」
状況の深刻さには触れず、ただ感謝の言葉だけを返した。
そのまま少し、二人とも沈黙する。
「しかし、大胆なことをしたもんだ」
先に沈黙を破ったのは、スーツの男だった。
「格好の的になるって、判らなかった訳じゃないだろう?」
「それでも……できるだけ、犠牲は出したくなかったんだ」
全員が賛同してくれるとまでは、期待していなかった。
しかし、この都市に集められた中には、殺し合いを望まない者も決して少なくはないだろう。
行動を起こすことで彼らを助けられる可能性があるのなら、動かない訳にはいかなかった。
そして、仲間が集まれば、この忌まわしいゲームの主催者に一矢報いることもできるかもしれない。
こんな所業は、許されるべきことではないのだ。
男はまた目を細め、笑った。
「頼もしいな。どうやら僕の選択は正解だったようだ」
彼が深く息を吐き、白い煙が空気に溶ける。
「君なら少なくとも、敵になることはない。それに味方にすれば頼もしそうだ。
……そう思ったから、君をここまで引きずってきた訳だが」
「あなたも……このゲームを、止めたいと?」
「そりゃそうさ。僕は見ての通り、戦いなんてからっきしだからな。
それに、このゲームに巻き込まれた中には仲間もいる」
仲間、という言葉に、アレフのことを思い出す。彼は無事に逃げ切っただろうか。
それから、あの部屋に集められていた中にはベスも、脱走の罪で拘束されているはずのテンプルナイト、ヒロコもいた。
彼女達も、こんな無益な戦いは望まないだろう。
今このどことも知れぬ都市に閉じ込められている以上、支配者はこのゲームの主催者であり、殺し合いのルールこそが法だ。
しかし、それは神に仕える者の従うべき法ではない。
「……僕も、仲間と合流したいと思っている。
同じ考えの人が集まれば、こんなゲームを終わらせる方法も見付けられるかもしれない」
「同感だよ。保証はないが、今はその希望に賭けるしかない」
男は頷き、今までの飄々とした笑顔とは打って変わった真剣な眼差しで口を開いた。
「同盟といこうか」
無論、断る理由はない。
「喜んで。……本当に、ありがとう」
「いやいや。お互い様だよ」
男はまた、穏やかな顔で笑った。彼に拾われたのは、まさに奇跡のような幸運だったようだ。
「さて、と。君の荷物も持ってきたんだ。足りているかい?」
男が立ち上がり、少し奥へ歩いて行くと、ザックを持って戻ってきた。
中身を確認するため、上体を起こして壁に凭れる。
「起きても平気なのか?」
「ああ。お陰で、少し楽になったよ」
笑顔を返し、ザックを受け取って中身を確認する。
中身に不足はなかった。食料と水、方位磁針、地図、着火装置とランタン。――参加者リスト。
「そうだ……」
リストをザックから引っ張り出し、開く。
これから行動を共にすることになる男の仲間――それから、この男本人の名前も、確認しておかなくては。
「自己紹介がまだだったな。僕はザイン。あなたは?」
「ああ……スプーキー、とでも呼んでくれ」
リストに視線を走らせる。その名前はどこにも書かれていない。
「参加者リストに、名前がないみたいだが……」
「……すまない。桜井雅宏、だ」
今度はリストの中に、その名前は見付かった。
「スプーキーの方が通りがいいんだが。これには本名で載ってるんだな」
小さく苦笑して、スプーキーこと桜井は肩を竦める。
「このリストの中で、あなたの知っている人は?」
リストを横から覗き込み、スプーキーは二つの名前を示す。
片方は男、片方は女。どちらも漢字で書かれた、日本人の名前だ。
互いの仲間の名前、そして大まかな特徴を教え合ってから、参加者リストをザックに戻す。
次に確認したのは、支給された武器と道具。これも、しっかりザックに入っている。
武器は皮製の鞭。扱い慣れていないと自分が怪我をしかねないので、使わずにしまったままでいたものだ。
ベスかヒロコなら、これも使いこなせるのだろうが。
メガホンはアレフに支給されていたのを受け取って使っていたのだが、撃たれた時に落としてきてしまった。
そして、一番奥に入れていた物。
「お、ノートPCか」
それを取り出すと、スプーキーが目を輝かせた。
「コンピュータのようだけど、操作方法が掴めなかったんだ」
膝の上に乗せて、二つ折りになっているそれを開く。
持ち運びを考えて設計されたのだろう、さほどの重さは感じない小型のものではあるが、
ミレニアムで使い慣れていたアームターミナルに比べるとやはり嵩張る。
恐らく、古い時代のものだろう。操作感覚もミレニアムで使うコンピュータとはかなり異なっていた。
アレフと一緒に電源を入れて動かそうとしてみたが、オペレーティングシステムに馴染めず二人とも挫折し、
短時間で把握するのは難しいと考えて半ば諦めていたのだ。
「こいつは最新式だな。しかもアルゴンOSじゃないか」
電源を入れたコンピュータの画面に表示されたロゴを見て、スプーキーはますます上機嫌だ。
最新式――そう彼は言った。旧時代の遺物にしか見えない、このコンピュータを。
その言葉に、確信する。彼は、違う時代から来た人間なのだ。
いや、そもそも今は、ミレニアムが存在するのとは別の時代なのだろう。
集められた参加者の中には、記録映像でしか見たことのないような服装の者もいた。
この都市の町並みにしても、古めかしい――地下世界の廃墟が在りし日の姿を留めていたらこうだったろうか、という趣のものだ。
空間だけでなく、時間まで超越して、主催者はここに人を集めた。殺し合わせるために。
そんな力を持つ主催者とは、何者なのだろう。
「ちょっと、貸してくれ」
「動かせるのか?」
「任せてくれ。これでも、ハッカーグループでリーダーを張れる腕なんだ」
PCを渡すと、スプーキーは自分の膝の上で手早く操作を始めた。
しばらくすると咥えていた煙草を指で挟み、話し始める。
「さすがにネットワークには繋がっていないな。プログラムも、ほとんど入っていない……おや?」
モニタの中の何かに目を留め、スプーキーが不思議そうな顔をする。
横から画面を覗き込むと、彼の目に留まったものが何であるかはすぐに判った。
"DEVIL SUMMONING PROGRAM"
「……悪魔召喚プログラム」
覚えのある言葉だった。ミレニアムで、アレフが使っていたものだ。
行方不明だったアレフがセンターに戻ってきた時、彼は悪魔使いになっていた。
どうやって、と聞いたら彼は、悪魔召喚プログラムなるものを入手したのだと答えた。
それと同じものが、このPCにインストールされている。
「これは……ひょっとすると、大当たりかも知れないぞ」
声に緊張と興奮を滲ませ、スプーキーが言った。
悪魔を召喚する、即ち味方に付ける――このプログラムがあれば、それが可能になるということだ。
確か、この都市にも悪魔が出現する場所はあると説明されていたはずだ。
交渉次第ではあろうが、そこに行って悪魔を味方にし、身を守るための戦力にすることができる。
しかし。
「悪魔を……使うのか……」
躊躇があった。悪魔という総称で呼ばれる中には天使や精霊なども含まれてはいるが、大部分はその名の通り、「悪」の存在なのだ。
アレフが悪魔を従えていたのを見て多少認識が変わってはいたが、少なくとも、メシア教の教えではそういうことになっている。
「まあ、使うかどうかは別として……だ」
スプーキーが顔を挙げる。
「PCがあるなら、僕の力も活かせる。ケーブルでもあれば、コンピュータ制御の設備は好きに使えるし……
希望的観測だが、ネットワークが生きていれば可能性も広がるな」
この都市だけしか存在しない世界、と主催者は言っていた。
それを考えると、ネットワークは使えない可能性が高いだろう。
が、考えてみれば、この建物には電気が通っている。地図を見た限り、発電所はなかったはずなのに。
もしここが、近代に存在した一つの都市を、機能はそのままに写し取ったような場所だとしたら――試してみる価値は、ある。
「ケーブルに……それだと、予備のバッテリーも必要かな?」
旧型のコンピュータについての知識にはあまり自信がないが、その推測は取り敢えず当たっていたようだ。
「そうだな。欲しいソフトもいくつかあるが……
電器屋かPCショップでもあれば、最低限必要な物は揃うと思う。規格が違わないとも限らないが」
この都市の文明レベルと、このPCが作られた時代の文明レベルが同じという保証もない訳だ。
しかし、心配していても始まらない。
「探してみよう。動けば、誰か協力的な人に出会えるかもしれない」
「お、おい」
服の埃を払って立ち上がると、スプーキーは戸惑う顔をした。
「もう動いて大丈夫なのかい?」
「動ける内に動いておかないと、もっと大丈夫じゃなくなりそうだ」
動かずにいるというのは、いずれ完全に石化してしまうということなのだ。
石化を治すか、進行を止める方法も、できれば探したい。そのためにも、動くしかない。
「あなたの護衛程度ならできると思う。……けど、危なくなったら逃げてくれ」
「怪我人に無理はさせたくないな。足手纏いにはならないように気を付けるよ」
PCはそのままスプーキーに持っていてもらうことにし、ひとまず目的地を決めようと地図を確認する。
今いる場所は、市の中心部の蓮華台。この辺りには住宅が多いようだ。
「店が多そうなのは……夢崎区、かな」
煙草を持った手で地図の北側を示して、スプーキーが言う。地図の上に僅かに落ちた灰を、彼は慣れた様子で吹き飛ばした。
「物が集まる所には人も集まりそうだ。誰かに出会うこともあるかも知れないな……
同じことを考えていたとしたら、僕の仲間もそこに向かおうとするはずだ」
先程名前を聞いた二人のことだろう。どういう知り合いなのかは聞かなかったが、ハッカー仲間なのかもしれない。
「何かしら収穫はありそうだな。行ってみよう」
頷いて、ザックを肩に担ぐ。
傷はまだ痛むが、怪我の功名と言うべきか、石化が進んだために出血は止まっている。
とはいえ、激しい戦闘をする自信はない。襲撃を受けたとして、スプーキーを守り切れるだろうか。
自分のためにも、相棒となった彼のためにも、そして相手のためにも――敵対的な誰かとは出会わずに済むよう、祈った。
【ザイン(真・女神転生2)】
状態:脇腹を負傷、石化進行中
武器:クイーンビュート(装備不可能)
道具:ノートPC(スプーキーに貸与)
現在地:蓮華台から夢崎区へ移動開始
行動方針:仲間を集めてゲームを止める、石化を治す
【スプーキー(ソウルハッカーズ)】
状態:正常
武器:?
道具:傷薬
現在地:蓮華台から夢崎区へ移動開始
行動方針:PC周辺機器・ソフトの入手、仲間との合流く
|