―午前6時
ある程度仲魔を集めて山道を下っていくと、静寂を破って放送が聞こえてきた。
数時間前の男の声が無感情に死者の名を告げる。
弓子の名は読まれなかった。
(…生きている)
按配感が全身を包む。まだ弓子は死んでいない。
しかしまだ安心はできない。
死者の数だけ危険が減ったといえるが、残る生存者の数だけ危険が残っているとも言える。
残る40人程度の参加者のうちの一人でも弓子と接触したら…
いや、もしかしたらもう接触しているのかもしれない。
先程殺したあの男のように親しげに話し掛けて信用させる。
優しい弓子は相手を信じてしまうだろう。そして、その相手が本性を表したら…
考えただけでぞっとする
ここに来てからずっと、思考を停止できない。
弓子が殺される姿。銃で頭を撃ち抜かれたり、刃物で内蔵を抉られたり、悪魔によって貪り喰われる姿。
なぶりものにされ、暗闇の中必死に助けを求める弓子の声が頭に響く。
「中島君…」
怖い。弓子が傷つけられることが、弓子のいない世界が訪れることが。
それを考えただけで、彼の心は軋み、肌が粟立つ。
前世…神代の時代では夫婦同士だった二人。
その絆の糸は彼の心を強く縛り付けている。
(弓子…)
艶やかな黒い髪、強く抱けば壊れてしまいそうな細い身体。そして、全てを見透かすような深い濡れ羽色の瞳。
もしもっと早く彼女に出会えていれば、ちょっとした怨恨から魔界の門を開くことはなかったかもしれない。
その償いとしてあんな下らない世界を守るために戦う必要もなかった。
(いや…辞めよう)
今は彼女に早く出会えなかった不幸を呪うより、彼女に出会えた幸福に感謝しよう。
そして、その幸福を堪え難い精神の苦痛に変えない為にも、急いで弓子を捜し出すのだ。
「よぉ…どこに行くんだ?」
放送が終わってからずっと、気配を感じてはいた。これまでの弱小悪魔とは違う気配。放送で言っていた悪魔の強化が早くも始まっているのだろう。
「お前は…」
舞い降りたのは、一体の若者。長い金髪と背に生えた一対の黒い翼を持つ悪魔。
「俺の名は魔王ロキ。こんなとこで一人とは、弱い悪魔しかいないと思って油断していたんだろう?」
軽い調子で話し掛けてきた。
(落ちぶれたものだな…魔王が聞いて呆れる)
かつていた世界で中島の手により召喚され、中島に牙を向いたロキとは姿形や口調、おそらくは力までも違う。
あの時の奴は、こんな小物ではなかった。
「まあいい、死にな。お前じゃあ十二翼のあの方の目的には相応しくない」
手刀を中島の喉元に繰り出す。
中島はパソコンを使おうとはしない。仲魔を総動員すればかなわない相手ではないが、彼には他に考えがあった。
「ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー」
ロキの動きが止まる。発せられた言葉への驚きと、中島の眼に宿る昏い力を察して攻撃をやめ、後ずさる。
「貴様…」
「君の言うあの方とやらの目的はこれだろう?」
冷ややかに笑う。単に鎌をかけているに過ぎないが、この唯一であり万能である神の名が悪魔に対し効力を持つのは分かっていた。
「いや…俺は知らない。あの方のことだ、単なる戯れかもな…」
「このゲームの目的が何であろうと僕には関係ない。生き残るだけだ
ただ、君はどうだ?このゲーム、こんな雑用のような仕事をするだけの傍観者で終わるつもりか?」
「…何が言いたい」
「二択だ。僕に力を貸して重要な役割を果たすか、ここで戦うか。ただ、そう簡単に僕を殺せるとは思わないことだな」
淡々と言う。今度はパソコンを開き、いつでも仲魔を召喚できるようにしておく。
「…見返りは何だ?」
(熟考の末出た台詞がこれか。屑め…)
「まさかマグネタイトや宝玉ごときで満足できるほど小物ではないだろう?そうだな…他の参加者の命を贄として捧げよう」
どちらにせよ出会う人間は殺すつもりなのだ、実質この見返りを払うことで自分への負担は全く無い。
「…いいだろう。だが、いい気になるなよ…俺にはいつでもお前を殺せるんだ」
山道を抜ける。暗い山のなかでは日の出もあまり関係なかったが、ここでは降り注ぐ日光が優しく感じられる。
(もうここにいる意味はないな…)
移動の目処を立てようとマップを広げる。
「一番近いのは平坂区か」
少し考えて、平坂区から港南区、青葉区…と反時計周りに移動することにする。中心に位置する蓮華台は最後に探索することにしよう。
「魔王ロキ…召喚」
ノートパソコンを開き、素早くコマンドを打ち込む。先程の悪魔がすぐに姿を現す。
「喜べ、早速仕事だ。ここから夢崎区、青葉区と時計周りに探索しろ。探すのは一人の女だ。」
弓子の特徴を説明する。
「見つけたらすぐに僕に報告しろ。彼女に手出しをすることは許さない。近くに誰かがいた場合でも、何もせず僕に報告しに来るんだ」
「他の連中は殺してもいいのか?」
破壊と殺戮への期待を抱き、ニヤリと笑って中島に問う。
「いや、余計なことはするな。お前は言われたことだけこなせばいい。」
博愛心からではない。戦いに巻き込まれて弓子に被害が及ぶのを避けるためだ。
ロキはその命令が不服なようだったが、あえて逆らうことはしなかった。黒い翼を大きく広げて飛び去っていく。
残りの仲魔は4体。一度に召喚できるのはロキ以外ではあと3体。
マグネタイトの節約のため連れて歩くことはしないが、戦闘となればいつでも召喚できる。
準備は整った。あとは、弓子を見つけだすだけだ。
ロキの口振りからすると、主催者は強大な力を持つ悪魔、もしくはそれに類する存在だろう。
知的な興味は感じたが、今の自分にはどうでもいいことだ。
心地よい朝の風に吹かれ、朱実は歩きだす。
愛する人を殺人者の群れから護りぬくために…
時刻 一日目午前6時過ぎ
【中島朱実(旧女神転生1)】
状態 正常
所持品 COMP MAG3500(交渉・召喚に使い減少) レイピア 封魔の鈴
仲魔 ロキ他4体
現在地 蝸牛山から平坂区へ移動中
行動方針 白鷺弓子との合流 弓子以外の殺害
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