女神転生バトルロワイヤルまとめ
第59話 パートナー

息を切らさないように慎重に、しかし彼女を逃がさないように急いで。
ベスの手を引いて、通りの端を走る。
自分でも馬鹿なことをしているとは思う。ヒロコはザ・ヒーロー達を見失い、違う方向へ去ろうとしているのだ。
このままやり過ごす方が遥かに安全だ。藪を突付いて蛇を出すようなことをする必要はない。
追おうとすることで自分の、そしてベスの身を危険に晒していることは自覚している。
けれど、放っておけなかった。
コロシアムで最強の男と呼ばれたザ・ヒーローが、高位魔獣のケルベロスまで連れているにも関わらず逃げる破目に陥っていた。
伽耶と呼ばれていた少女からも警告された。
今のヒロコは、彼等の言葉によれば、もう人間ではない化け物だという。
人間を無差別に襲っているようでは、理性も残っていないのかもしれない。
ただ、もし彼女の中に人の心が僅かでも残っているとしたら。
救いを求めているとしたら。
それを考えると、見過ごす訳にはいかない。
自分でなかったら、誰が彼女の中に残った心に気付いてやれるだろう。
尤も、彼女に心が残っている保証はないのだ。残っていたとして、何をしてやれる訳でもない。
できるのは、今の彼女を「人間」として受け止めてやることだけだ。
そんな些細な救いさえも与えられないとしたら、彼女は悲しすぎると思ったから。
――不毛な我侭だ。

遠くから、笑い声が聞こえた。
聞き覚えのある、しかし甲高く狂気を帯びた声。ベスの手に力が込められる。
「見付けた……そこにいたのね!」
声と共に、近付いてくる姿。
血に塗れ、胸に空いた穴も生々しく、全身の所々にガラスの破片が刺さったままで――
しかし足取りは微塵も揺るがず、彼女は立っていた。
(本当に……動いてる。けど、生きてない……)
ベスの手を離し、汗の滲む手で銃のグリップを握る。
ヒロコが死んだというのも、生ける屍と化したというのも、信じ切れずにいた。いや、信じたくなかった。
が、今この姿を見ては信じざるを得なかった。
目の前の光景は、厳然たる事実だ。いくら拒絶してもどうしようもない。受け入れるしかない現実なのだ。
その実感にただ打ちのめされて、悲しみも恐怖も麻痺してしまっていた。


「あらぁ……? さっきの子じゃ、ないのね?」
ヒロコが、不意に立ち止まる。
既に互いの表情が読める距離。気付くのがあまりに遅い――そう思って、気付く。
彼女の端正な顔も、綺麗だと思っていた金色の髪も、自らの胸から噴出したのだろう血飛沫で無残に汚れている。
(目に血が入って、よく見えていないのか……?)
彼女は少なくとも、自分達とザ・ヒーロー達を識別することができている。
しかし今まで別人だと気付かなかったということは、レーダーでは個々人の区別は付かないようだ。
恐らく彼女はレーダーに二人分の反応があるのを見、ザ・ヒーロー達を見付けたと思って戻ってきたのだ。
正常な視覚があれば、相手の服装や背格好が視認できる距離で気付いていただろう。
それにザ・ヒーローは、双眼鏡で見ていても気付かれる恐れがあると言っていた。
本来ならゾンビ状態の彼女の知覚は、人間以上に鋭かったということだ。
(それでも、血に視界を遮られれば見えない……つまり、見るには目が必要なんだ)
向かい合うしかない現実を目の前にして、ショックを通り越して逆に冷静になっていた。
それでも、自分が考えたことに一瞬寒気を覚える。
(――目を潰せってか? ヒロコさんの?……何考えてるんだ、俺)
もう生きていなくとも、化け物になってしまっても、ヒロコはヒロコだ。
初めて会った時の真剣な目。傷を癒してくれた時の慈しむ目。また会おうと笑って、細めた目。
彼女の眼差しが好きだった。
理由は解らないけれど、何故か懐かしいと感じていた。過去のことなど、何一つ覚えていなかったのに。
「ヒロコさん」
一縷の希望に縋るように、彼女の名を呼んだ。
ザ・ヒーロー達を襲ったという時点で、彼女がもう以前のヒロコでないことは解る。
恐らく、戦いは避けられない。
それでも、思い出してくれるのではないか、戦いを止めてくれるのではないかと期待せずにはいられない。
「……だれ?」
艶然と微笑んで歩み寄ろうとしていた彼女が、ぴたりと足を止めた。
呼び掛けに反応があったことに、どきりとする。
「俺……アレフだよ。ヴァルハラで、一緒にマダムの所に……スラムにも行って」
声が震える。声だけでは思い出してもらえなかったようだが、彼女に生前の記憶はあるのだろうか。
「一緒に戦っただろ。俺達、仲間だったんだ」
行動を共にしたのは、ほんの短い間。それでも彼女のことは心から信頼できると思っていたし、彼女も同じ思いだと信じていた。
ベスの献身への信頼とはまた違う、理由の解らない安心感を、ヒロコといると感じることができたのだ。
そんな関係を何と呼ぶべきかは判らないから、ただ、仲間としか表現できないけれど。
「ナカマ……?」
いつしかヒロコの顔からは笑みが消えていた。代わりに浮かぶのは、驚きと困惑の色。
が、それも一瞬だけのことだった。
「だったら――」
ヒロコが地を蹴った。咄嗟に左腕を顔の前に翳し、体を庇う。
「だったらアンタも……死になさいよぉっ!」
翳した腕で、突き出されたヒロコの拳を受け流そうとする。が、襲ったのは予期していた拳の衝撃だけではなかった。
ざくりと何かが刺さる感覚。続いて、引き裂かれるような激痛が走った。
いつもならアームターミナルを装備している腕も、今は剥き出しになっている。その素肌が、たちまち朱に染まった。
無論、衝撃も半端ではない。一撃の重さと激痛に、体が後ろに傾く。
「ふふ……あはは……温かいわね、アンタの血……」
血塗れの手を翳し、陶然とヒロコが笑う。喜悦の表情。
背筋が凍る、というのはこういう感覚を言うのだろう。生きていた時の彼女は見せたこともない、艶かしく凄絶な笑みだった。


「アレフ!」
一瞬朦朧とした意識を引き戻したのは、ベスの声だった。
輝く銀輪が視界の隅に入ったかと思うと、追撃を叩き込もうとしていたヒロコの腕にほぼ垂直に食い込む。
痛みこそ感じていないようだが、物理的な衝撃にさすがにヒロコの手が止まる。
涼やかな音を立てて、彼女の指の間から血に塗れた小片がコンクリートの地面に落ちた。ガラスの破片を握り込んでいたのだ。
体勢を立て直すなら、この隙だ。後ろに数歩よろめいてから、やっとのことで踏み止まる。
左腕の傷に目を遣った。ヒロコの尋常でない力と鋭いガラスに抉られ、肉が露出している。
(こりゃ、早く止血しないとまずいな……)
「大丈夫よ。メディアっ!」
治療の必要を感じたのとほとんど同時にベスの声が飛び、柔らかい光が全身を包んだ。
普段ベスが使う治癒魔法と比べると明らかに効果は小さいが、傷が少しずつ塞がる――そして他方では、違う効果が現れていた。
「くぅっ……あぁぁぁ!?」
ヒロコが狼狽した悲鳴を上げる。彼女もまた、淡い光に包まれていた。
ここで体当たりでも食らわせて転倒させれば優位に立てそうなものだが、体勢を立て直すのが精一杯だった。
後ろに跳んで距離を取り、ヒロコに向けて銃を構える。
彼女の腰のホルスターにも銃が提げられているが、今の文字通り血に餓えた彼女がそれを使ってくる可能性は低そうだ。
光が収まる。生者であれば「肩で息をする」と表現できたろう苦しげな、ぎこちない動作でヒロコが顔を挙げた。
鬼の形相をしたその視線の先にいるのは、ベスだった。
「……邪魔したわねぇ」
腕に刺さったままのチャクラムを、ヒロコは無造作に抜くと投げ捨てる。
もう血も流れない傷口がぱっくりと開いているが、それを気にする様子も彼女にはない。
怯んだ獲物を仕留められる好機を、ベスのチャクラムと魔法に妨げられた。その怒りが、今は彼女を支配しているようだった。
「ベスには手を出すな!」
反射的に叫んで、たじろぎもせずヒロコを見つめるベスの傍へ駆け寄る。
ヒロコは動かなかった。まだ満足には動けないのかもしれない。
「……ごめんな。仲間って言ったのは、失敗だったかも」
小声でベスに言う。ゾンビの類は、生者を自分と同じゾンビにしたがる傾向がある。
寂しいためか、生命ある者への嫉妬か。いずれにしても、仲間などと言えばどんな反応をされるかは自明だ。
相手はゾンビである前にヒロコだと思っていたから、禁句を口にしてしまった。
本当は、相手はヒロコである前にゾンビだと、考えなければならないのだろうか。


甘さのために、一瞬怯んだために、ヒロコの敵意をベスに向けてしまった。
巻き込みたくなかったのに。自責の念が湧き起こる。
しかし、ベスは首を横に振り、微笑んだ。
「失敗なんかじゃないわ。あなたが彼女を仲間と呼んだから……私もそう思えたの」
「え……?」
一瞬意味が解らなかったが、次の瞬間はっとする。
ベスが先程使った魔法――メディア。周囲の味方の傷を癒す術だ。
乱戦の最中でも正確に味方だけを治癒することができるのは、魔力が術者の望む通りに働くからに他ならない。
つまり、この魔法が効果を及ぼすのは、術者が仲間だと――助けたい、と思った者だけなのだ。
ベスは襲い掛かろうとするヒロコに敵意を抱かず、彼女を救いたいと考えていたのだ。
「思い出したわ、ネクロマの弱点。ゾンビにされた生き物は、治癒の術を受けると負の生命力を失う……遺体に戻るのよ」
「じゃあ……」
ヒロコを救い、縛られた魂を神の御許に送ることもできるのか。
傷の治り具合を見るに、ここでは治癒魔法の効力はかなり小さく抑えられてしまうようだ。
だからヒロコも、今のメディアだけでは死体に戻らなかったのだろう。或いは、ネクロマの術者が飛び抜けて強力なのか。
しかし、何度も治癒の術をかければ。
すぐにはネクロマの呪いは解けなくとも、動きを鈍らせることができるのは確かなのだ。
あまり何度もとなるとベスの精神力がもたないだろうが、無力化する程度ならできるかもしれない。
芽生えた希望が痛みを忘れさせ、活力を生み出していた。
「……ベス。ありがとう」
ベスという少女をパートナーに持ったことを、本当に幸せだと思った。
今ここで肩を並べているのが彼女でなかったら、ヒロコのことは救えなかっただろうから。
献身する「救世主」のためなら他者の犠牲も厭わない、それも本当の彼女だ。
けれど、穢され縛られた魂の救済を願い、友愛を注ぐことができるのも本当の彼女なのだ。
「うふふ……仲良しなのね。じゃあ、一緒に殺してあげる」
口の端を吊り上げて、ヒロコが笑った。
「させないさ」
全力でベスを守れば、上手くいけばヒロコを救える。駄目だとしても少なくとも、この場は切り抜けられる。
それから治癒魔法を使える者を探すなり、どうにかして悪魔を仲魔にするなりしてから、またヒロコを探し当てればいいのだ。
(ヒロコさん。絶対に解き放ってみせる)
もう一人のパートナーだった女性の成れの果てを、正面から見据えた。



<時刻:午前6時過ぎ>
【アレフ(真・女神転生2)】
状態:左腕にガラスの破片で抉られた傷
武器:ドミネーター
道具:なし
現在地:夢崎区、大通り
目的:ネクロマを解除しヒロコの魂を救済する

【ベス(真・女神転生2)】
状態:正常
武器:チャクラム(手放した)
道具:?
現在地:同上
目的:ネクロマを解除しヒロコの魂を救済する、アレフを守る

【ヒロコ(真・女神転生U)】
状態:死亡 ネクロマによりゾンビ状態(肉体強化、2度と死なない)
   大道寺伽耶の一撃により胸に穴が開いているが活動に支障は0 ガラスの破片が多数刺さる
   治癒魔法で動きが鈍っている 目に血が入って視界不良
武器:マシンガン
道具:呪いの刻印探知機
仲魔:無し
現在地:同上
行動方針:頭に響く殺せと言う命令に従い皆殺し

***** 女神転生バトルロワイヤル *****
inserted by FC2 system