女神転生バトルロワイアルまとめ
第70話 涙

人間は、本来有している能力の三十パーセント程度しか発揮できていないのだという。
能力が成長するというのは、鍛錬で肉体が鍛えられたり経験や知識によって要領が良くなったりに限らず、
それまで眠っていた潜在能力を呼び覚まし、コントロールできるようになるというのも含んでいる。
四十パーセント、五十パーセントの能力を開花させた人間はより強くなるという訳だ。
しかし、ほとんどの人間は潜在能力を眠らせたまま一生を終える。
――ホークという名でコロシアムの闘士をしていた頃に、トレーナーの岡本から聞いた話だ。
「俺が思うに、ホーク。お前は人より余分に力を使えるんじゃないか」
難しいことを考えるのは不得意そうな岡本が、珍しく真面目な顔でそんな推論を立てていたのを思い出す。
「お前はどっかで訓練は受けてたようだが、実戦にゃ慣れてない。それに体格も闘士としちゃ頼りないな。
その馬鹿みたいな強さは多分、経験で身に着いたもんじゃない。
……生まれ付き、三十パーセントより多く能力を発揮できる体質なのかもな。言わば戦いの天才だ」
その仮説には説得力があった。自分は生存本能と直感のままに動くだけでも、人並み以上に戦える。その自覚はあった。
明らかに筋肉の量が違う怪力自慢の闘士とも、互角に鍔迫り合いができた。
大抵の相手の動きは、遅く感じて仕方なかった。
その話を聞いて、他の人間にとっては肉体はもっと重く、動かしにくいものなのかもしれないと妙に納得した。
余分とか馬鹿みたいなとか、本当に誉めているのか怪しい言い回しではあったが。

もし人間の能力の限界が潜在能力のリミッターによるものだとしたら、今の彼女はリミッターの外れた状態なのだろう。
自らの体を傷付けることすら恐れず、持てる力の百パーセントを出している状態。
女性とは思えない力で繰り出されるヒロコの攻撃をザックを盾に受け流しながら、そんなことを考える。
まともな盾で受けた訳ではない。軽減できる衝撃は微々たるものだ。
腕が痺れ、踏み止まり切れず一歩後ろによろめいた。
「その程度なのぉ? つまんないわ!」
先の左手でのパンチに続き、今度は右手。
チャクラムで深く切り裂かれた腕を構わず振り回しているため、傷は余計に深くなっている。
このまま戦い続けたらいずれ千切れ飛びそうだが、ヒロコにはそれを気にする様子もない。
――指がなくなれば、少なくとも武器を持つことはできなくなる。
腕が途中から千切れれば、あの怪力で殴り掛かって来られたとしてもリーチは短い。
そんな考えが一瞬、頭を過ぎった。しかし、それは考えるべきでないと思考の外に追い遣る。
生ける屍に成り果てていたとしても、彼女はヒロコだ。
人格は豹変してしまっているが、自我が失われている訳でもない。
仲間、と呼び掛けた時の彼女の反応が、脳裏から離れなかった。
その言葉に何かを感じ、しかし思い出せず戸惑った彼女の様子。
彼女の気持ちが、解るような気がしてしまったのだ。
知っているはずのことを思い出せない焦燥感も、戸惑いも、自分が何度となく味わってきたものだったから。

「メディア!」
精神の集中を終えたベスが、二度目の治癒魔法を行使する。
腕の痺れが抜け、傷の痛みも少しずつ引いていく。劇的な効果はないが、これだけの回復でも今は有難い。
そして、ヒロコにも魔法の影響は現れていた。
死者である彼女の傷が癒されることはない。本来なら優しい術は、彼女に対しては凶器となっていた。
苦悶に顔を歪め、死んでいても防衛本能は残っているのだろうか、体を庇うように自らの肩を抱き締める。
しかし力のブレーキが利かないのと痛覚がないせいだろう、肩のプロテクターに爪が食い込み、その下から血が滲み出ていた。
胸に開いた穴を見るに、彼女の血液の大半はもう体外に流れ出てしまっている。
自らの爪を食い込ませた肩の傷は、恐らく血の量から想像できるより深いものなのだろう。
彼女のそんな姿が痛々しく、目を逸らしたくなる。
「ベス、今の内に離れるんだ!」
指示の声に、ベスは機敏に反応する。が、続けて魔法を使用しているためだろう、その動きにはやや疲れが見える。
(もう少し頑張ってくれ、ベス。俺が攻撃を引き受けていれば後は……)
ヒロコが動きを止めている間に離れれば、多少の時間を稼ぐことはできる。
今はとにかく攻撃を凌ぎつつ、ベスに治癒魔法を使い続けてもらうしかない。
ベスとは違う方向に走り、ヒロコから距離を取る。
「こっちだ……来てみろ!」
こちらが狙われている限り、ベスは安全だ。
今のヒロコにとって脅威となるのは明らかにベスだが、今までの行動から考えるに、ヒロコはそこまで思考して動いてはいない。
手近に攻撃できる、血肉を持った人間がいるとなれば血を求める衝動が先に来るのだろう。
相手をする側にしてみれば幸いだった。この圧倒的な身体能力に加え、生前と同等の状況判断力があったらまず勝てない。
「お望み通り、殺してあげるわよぉぉ!」
ヒロコが絶叫する。血に汚れた顔を更に恐ろしく歪ませて、彼女はこちらへ突進してきた。
相手が生きた人間ならば威嚇射撃でもすれば止まるだろうが、ゾンビ相手ではそうもいかない。
かといって足を撃って止めるにも、相手の動きが速すぎる。
彼女には痛覚がない。ただ当てるだけでは止まらないのだ。
腱でも切るか、体重を支えられないほど破壊するかしなければ、気にせず突っ込んでくるだろう。
間合いに入られたら、こちらは銃を構えた姿勢からどうにか対抗しなければならないだけ不利。
ならば、最初から銃でどうにかしようという選択肢は捨てた方がいい。
(ぎりぎりまで引き付けてから避ける……しかないか)
ヒロコの動きに意識を集中する。どんな攻撃を繰り出してくるか。どちらへ動けば避けられるか。
反射神経は向こうの方が上だが、彼女の視界は目に入った血で妨げられている。
こちらの輪郭を捉えることはできるようだが、顔の区別はできなかった程度だ。小さな動きには気付けないだろう。
攻撃を喰らうか避けられるかは、五分と五分。
「そこねっ!」
ヒロコが跳んだ。飛び掛かって、そのまま組み敷くつもりか。
予想外の大胆な動きに反応が遅れ、辛うじて地を蹴って飛び退く。目の前に、ヒロコが着地した。
――その一瞬後には、腹に強烈なパンチが叩き込まれていた。
防御姿勢も取れず、体をくの字に折り曲げて数メートル吹き飛ばされる。
吐き気が込み上げる。全身に脂汗が滲む。プロテクターを着けていなかったら、この程度では済まなかっただろう。
「やめて!」
悲痛な叫びを上げ、ベスが三度目のメディアを詠唱する。
体を包む光に活力を与えられ、まだかなり残る痛みを堪えて上体を起こした。
ヒロコも淡い光に包まれる。その動きが止まり、膝ががくりと折れた。

「お願い、もうやめて」
ベスが駆け寄ってくる。彼女は、目に涙を溜めていた。
「あなたとアレフが戦うなんてこと、あってはいけないわ。アレフはあなたの――」
「うるさいっ!」
ヒステリックに叫び、ヒロコは跳ねるように立ち上がった。振り乱された金色の髪に隠れて、その顔は見えない。
どんな顔をしているのだろう。浮かべているのは、憎悪の表情なのだろうか。
「待って、お願い。あなたは知らされていないけれど、あなたの探してる子……」
ベスの言葉は、今度はマシンガンの発射音に掻き消された。
殺意が、血の渇きを上回ったのだろうか。ヒロコはついに自らの手での攻撃を止め、マシンガンを乱射し始めたのだ。
しかし、狙いは酷いものだった。
たかだか数メートルの距離にも関わらず銃口はまるで違う方向へ向けられ、動揺を表すように上下に揺れ動いている。
(ヒロコさん……何か思い出したのか?)
酷い狙いとは言っても、この距離だ。ひとたび銃口を向けられたら終わり。射程外に出るのも、一瞬でとはいかないだろう。
彼女が冷静さを取り戻すまでの数秒か、数十秒かの間に動かなければ、こちらの負けだ。
倒れた時に落としたドミネーターに手を伸ばし、拾い上げる。撃つしかない。少なくとも銃撃を止められるような部位を狙って。
それだけの猶予はあるはずだ。彼女にはこちらの動きは、はっきりと見えてはいないのだから――
と、思った矢先のことだった。
ヒロコが頭を大きく振った。纏わり付いていた髪が払われ、顔が露わになる。
その顔を目にして、思わず手が止まった。彼女と目が合う。
「ヒロコさ……ん」
「もう……消えてよぉぉぉぉ!」
その声は今までの憎悪を帯びたものでなく、哀願するような響きだった。

彼女は、泣いていた。

思えば生きていた時も、彼女は一度も涙を見せなかった。よく知っている女性の、初めて見る泣き顔。
その瞳に狂気の色はない。きっと、ただ困惑しているのだ。
そして、自分を惑わせるものを目の前から消し去りたいと、そう思っているだけなのだ。
向けられているのが殺意だということに変わりはない。先に撃たなければ殺される。震える手で、彼女の手元に狙いを付ける。
彼女の視線が、今まさにトリガーを引こうとしていた手に向けられる。
(しまった……涙で血が洗い流されて、視界が戻っているんだ!)
それに気付かなかったのと、彼女の涙に一瞬戸惑って手を止めたことが敗因だった。
反射速度はヒロコの方が上。こちらが引き金を引くより早く、マシンガンが火を吹いた。
終わりか。覚悟を決めて、目を閉じる。

が。次の瞬間、感じたのは銃弾の突き刺さる感触ではなかった。
発射音が聞こえると同時に、温かく力強い何かが覆い被さってきて――「何か」?
「ベス!? お、おい……」
「アレフ……無事で、良かった」
慌てて目を開けると、目の前にはベスの弱々しい笑顔があった。
まるで抱き付くように覆い被さってきた彼女の体から、ふっと力が抜ける。
抱き留め、背中に腕を回すと濡れた感触が伝わった。
ベスを抱えたまま身を起こし、見る。彼女の白いマントには無数の穴が開き、そこから血の染みが広がっていた。

庇われた。
その事実を認識するまでに、数瞬の時間を要した。ヒロコにまだ殺意があれば、その隙に殺されていただろう。
ヒロコは、呆然とした面持ちでその光景を見ていた。トリガーに掛けられた指は外されている。
やがて、その唇から呟きが洩れた。
「ア……レフ……?」
「!」
思い出したのか。視界が開けて、相手の顔を見て、やっと。
「……ヒロコさん」
引き戻せるかもしれない。微かな希望を持って、彼女の名を呼んだ。
ヒロコの視線が泳ぐ。マントを血に染めたベスを、自分の手を、コンクリートの上に流れる血を見る。
「違う……知らない、知らない、あなたなんて思い出せない……どうして」
取りとめのない言葉が続く。マシンガンを持った手はだらりと下げられ、彼女に最早戦意がないことを示していた。
「本当に覚えてないのか? 一緒に戦っただろ、俺達……」
「やめて!」
ヒロコが鋭い声を張り上げる。
「違う、私は……アタシは……あぁぁぁぁぁぁ!」
天を仰いで、彼女は悲痛な、吼えるような声を上げた。
彼女の中に残った自我と僅かな記憶が上げる、言葉にならない悲鳴。
もう生体の機能など停止しているはずなのに、その目からは涙が止め処なく流れ続けている。
不意に、彼女は踵を返した。心を乱すものを視界に入れたくないのだろうか、こちらに背を向ける。
「ヒロコさん!」
もう一度、今度は強い口調で名を呼んだ。
しかし、もう彼女には言葉は届かないようだった。振り向きもせず――走り出す。
追うべきか、と逡巡する。今逃したら、もう会えないかもしれない。救えないかもしれない。
「……アレフ」
弱々しい声で呼び掛けられて、はっとした。
そうだ。ヒロコを追う訳にはいかない。ベスをここに置いては行けない。
「ベス、大丈夫か」
マントに覆われて傷は見えないが、広がり続ける血の染みを見れば判る。大丈夫な訳がない。
判っていても、どうすることもできなかった。
「ごめんね、アレフ……」
「馬鹿っ。どうして君が謝るんだよ」
動揺して隙を作ってしまったのはこっちだ。本当なら、撃たれていたのも自分だったはずなのだ。
それなのに、ベスは責めるどころか気遣うように言う。
「だって……あなたは優しいから、私が死んだら悲しむわ」
「何言ってんだよ。一緒に生き残って、ここから出るんだろ」
言いながら、そんな言葉は気休めにもならないことを理解していた。
この出血で、手当てをする術もなく、彼女には治癒の魔法を使う力ももう残っていない。
助からないことは明白だった。彼女自身もそれを理解している。してやれることは、何もない。
彼女の体を仰向けにして、膝の上に寝かせた。二人の顔が向かい合う。
「アレフ、あの人のことは助けてあげて」
「……うん」
ベスの手を、そっと握った。
彼女は驚くほど穏やかな表情をしていた。自身の命の灯が燃え尽きようとしているというのに、人のことを心配しながら。

悔しかった。
ヒロコがあんな目に遭って、助けようとしたのに助けられなくて、守ってくれたベスまで失おうとしている。
(何が救世主だ。俺は、誰も救えていないじゃないか)
「……泣かないで」
ベスがそっと手を伸ばし、柔らかい手で頬に触れた。それで初めて、自分が涙を流していることに気付く。
彼女のその手を取って、指を絡めた。
最早誰のものともつかない血に塗れた、汚れた指と指が触れ合って、互いの体温を伝える。
嬉しそうに、ベスは微笑んだ。
「私のことは、いいの……私はあなたのために、生まれてきたから」
(違う。君は君のために生きて良かったんだ)
そう思いながらも、言葉にはできなかった。笑顔で死んでゆこうとする彼女を否定はできない。
彼女はきっと、違う生き方を選ぶことなど考えもしなかったのだろう。その生涯に一度も。
「救世主」に仕えるために、そう育てられてきたから。
目の前の大切な人々を救うこともできない、ただのお飾りの英雄に全てを捧げるために。
「あなたは……生きて……」
繋がれた手を、ベスが少しだけ強く握った。――それが、生きた彼女の最後の感触だった。
その手に込められていた優しい力が消えてゆく。綺麗だった目も、今は閉じられている。
動かない彼女の体を強く、強く抱き締めた。その白い頬に涙の雫が落ちる。
「――どうしてだよ?」
理不尽だ。何もかもが。こんな場所に連れて来られて殺し合いをしろと言われているのも、ベスが死ななければならなかったのも。
ヒロコが誰とも知れない相手に殺され、死してなお安息を得られず辱めを受けていることも。
この状況をどうすることもできない無力な自分に、救世主などという肩書きが与えられていることも。
そんな不甲斐ない救世主のために死ぬ運命を、ベスが迷いなく受け入れたことも。
「畜生っ……どうしてだよ、こんな……」
遣り場のない憤りが湧き上がる。世界の全てが理不尽で、不条理で、悪意に満ちているように思えた。
神を呪うというのは正しく、こういう感情のことを言うのだろう。
ここでどんなに吼えたところで、神を傷付けることなど叶いはしないのだろうけれど。
ただの人間である自分にできるのは、目の前に現れた敵と戦うことだけだ。誰かを救うにも、何かを守るにも力は足りない。
彼女達のために、何かができるとしたら――そうだ。

「……許さない」
他の何もできないけれど、戦うことならできる。殺すことなら。
まだ姿も見えず、名前も知らないけれど、確実な敵がひとりいる。
胸の中で黒く渦巻き始めた感情を、溜めておくには苦しくて、淀んだ空気を抜くように呟いた。
ヒロコを殺し、ゾンビ化した術者。恐らくはまだ生き残っているだろう。奴を倒せば、ネクロマも解けるかもしれない。
そいつのことなら、きっと躊躇わずに殺せる。



<時刻:午前7時>
【アレフ(真・女神転生2)】
状態:左腕にガラスの破片で抉られた傷、精神的落ち込み
武器:ドミネーター
道具:なし
現在地:夢崎区、大通り
行動方針:ネクロマの術者を倒し、ヒロコを解放する

【ベス(真・女神転生2)】
状態:死亡(ヒロコにより殺害)
武器:チャクラム(手放した)
道具:不明
現在地:夢崎区、大通り

【ヒロコ(真・女神転生U)】
状態:死亡 ネクロマによりゾンビ状態(肉体強化、2度と死なない)
   大道寺伽耶の一撃により胸に穴が開いているが活動に支障は0 ガラスの破片が多数刺さる
   治癒魔法で動きが鈍っている 錯乱状態
武器:マシンガン(銃弾はかなり消費)
道具:呪いの刻印探知機
仲魔:無し
現在地:夢崎区?
行動方針:頭に響く殺せと言う命令に従い皆殺し

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