女神転生バトルロワイアルまとめ
第84話 希望を繋げ

ドアの軋む音の大きさに、思わずどきりとして手を止めた。
――いや、正確にはその音が大きかったのではない。ここは静かすぎるのだ。
いくら無人の静かな街だからと言って、この程度の音が外にいる者に聞こえてしまうはずはない。
そう解っていても妙に緊張してしまい、両手で持っていた荷物を落とさないように片手だけで抱え直して、ゆっくりとドアを押し開けた。
念のため、ドアの向こうの様子を慎重に覗う。
見える範囲に異変はない。ひとまず安堵の息をつき、ドアを潜った。
「救急箱、見付かったよ」
小声で呼び掛けてみたが、返事はない。心配になって足を速め、すぐ側まで近付く。
「大丈夫か? 奥から救急箱、持ってきたんだが」
「……あ。すまない……ありがとう」
彼の体格には小さく見える椅子にぐったりと腰を下ろしていた青年が、僅かに顔を挙げた。
数々の修羅場を潜ってきたのだろう彼が、こんな至近距離にまで寄られなければ気付かないほど消耗している。
状況は、依然深刻だった。

不気味な鎧を着けた金髪の男からどうにか逃げ延びて、まず考えたのは体を休めることだった。
二人とも酷く疲れていたし、負傷しているザインは動き続けるのも辛そうだったからだ。
あの男や他の攻撃的な相手に見付からないためには、どこか屋内に入った方がいい。
これだけの建物が立ち並んでいたら、その中のどこに隠れたかをそう容易く特定されることもないだろう。
が、念を入れるなら、内部にも身を隠す場所が多い建物がいい。
それに、休むとなるとしばらくそこから動けないだろうから、必要になりそうな品が揃っているに越したことはない。
快適に休める部屋でもあればなおいいが、そこまで高望みはできないだろう。
とにかく早く、誰にも見付からないように隠れ場所を見付ける必要がある。
民家は快適ではあるだろうが、鍵の掛かっていない家を探すのに時間を費やすのも気が進まなかった。
鍵やドアを壊して侵入などすれば、前を通った者に気付かれてしまう危険性も高い。
確実に開いているというのなら、狙い目は商店だ。
繁華街にまで辿り着いていれば選択肢も多かったのだろうが、この付近に見当たる店はそう多くない。
そんな中で目に留まったのは、あまり大きくはない文具店。
誰にも見られていないのを確認し、店に入った。陳列棚が並んでいて見通しは悪いが、幸い先客はいなかった。
まずはザインを休める場所に連れていくのが先決だ――と、思ったのだが。
さすがに消耗が激しかった彼は、店に入るや否やほとんど倒れるように座り込んでしまった。
緊張の糸が切れて、力が抜けてしまったのだろう。
結局、客のいない時に店員が座るためのものだろうか、カウンターの奥にあった小さな椅子の所まで肩を貸して連れてくるのが精一杯だった。
彼ほどではないにせよ疲れている身には、それだけでもかなりの重労働だ。
が、まだ休んではいられない。次は、傷の手当てができるような品を探さなくては。
支給品の傷薬は残っているが、ただ薬を塗ればいいというものでもない。
傷口を清潔にして、できれば包帯か何かで保護しておくのが必要だ。
ザインには椅子に座って休んでもらい、その間に店内と、奥の小さなオフィスを軽く物色する。
文具店の品揃えというのは意外に多彩だ。役に立ちそうな物は数多くあったが、まずは手当てに使えそうな物だけを集めることにした。
それで、収穫を持って今、カウンターまで戻ってきた――という訳だ。

カウンターの上に、持ち出してきた物を並べる。
少量の薬と包帯が入った救急箱。オフィスにあった、所謂置き薬という奴だ。店員用に常備してあったのだろう。
濡らしたタオルが数枚。これは商品だ。まだ真新しくあまり水を吸わない、可愛らしいキャラクターの描かれた子供用のもの。
包帯を切るための鋏も商品の中から頂戴した。
「傷、見せてもらうよ」
「……すまない」
申し訳なさそうに、ザインが頷く。遠慮がちな様子からは、世話を焼かれるのに慣れていない風が見て取れた。
未だ歳若い彼は、今まで、どんな風に生きてきていたのだろう。
「君の格好、変わってるな」
「そう……かな」
「こんなに包帯ぐるぐる巻いた奴は珍しいね」
背中の傷を見るため上着を脱がせ、断ち切られて本来の意味を為さなくなっていそうな血塗れの包帯を取り除く。
触れてみると解るが、この包帯は治療用のものよりも丈夫な材質でできているようだ。
格闘家が拳の保護用にバンデージを巻くというのは聞くが、全身に巻くというのはさすがに聞いたことがない。
用途としては、それに近いものなのだろうが。
「服もぼろぼろだし、後で新しいのでも調達しようか」
軽い口調で言いながら、彼の背に刻まれた傷を覗き込んで顔を顰めた。
傷口はかなり深く開いており、出血も未だ止まる様子はない。
「君の体格に合うのを探すのは大変かも知れないね。そのヘアスタイルに似合うのとなれば尚更だ」
不安から気を紛らわすために、軽口を叩き続ける。
「制服も似合わないって言われたな。着たのは最初の頃だけだったけれど……」
「制服? 学校のかい」
目の前の青年が学生服を着ているところを想像しようとし、あまりの違和感に思わず笑いが洩れそうになる。
学ランにしてもブレザーにしても、どう頑張ったって似合いそうにない。
「いや……テンプルナイトの制服だよ。学校というのは……行ったこと、ないな」
「そっか」
自分達の生きてきた平和な世界とは違うのだろうな、とぼんやりと考える。
濡れたタオルを手に取って、まずは傷口の周りに付いた血を拭き取った。それだけで、新品のタオルはもう真っ赤に染まる。
彼の視界に入らないように、汚れたタオルを後ろに投げ捨てた。カウンターから次の一枚を取る。
縦一文字の傷に沿って軽く触れるように拭き始めると、やはり相当痛むのだろう、ザインは体を強張らせた。
それでも弱音の一つも吐かず、呻き声さえ上げない。
(強いな……彼は)
その強さが頼もしいと言うより、寧ろ痛々しく思えた。
彼がもっと弱かったり、臆病だったり、卑怯だったりしたらこんな苦労は背負い込んでいないだろうに。
「テンプルナイト、ってのは何だい?」
背中の傷を拭き終わると、喋っていた方が互いに気も楽だろうと次の質問を繰り出す。
「……法の番人。人々が平和に暮らせるように……秩序を、守るんだ」
「そいつは……」
さすがにコメントに困った。何しろこちらはハッカー、秩序に反抗する犯罪者である。
もし同じ世界に生まれ育っていたら、自分と彼とは敵同士になっていたかもしれない訳だ。
全く違う環境で育っても今と同じ自分が出来上がるかどうかは予測も付かないし、予測したくもなかったが。
「――次、腕」
あまり突っ込んだことは話さず、手当てに集中することにする。
促すと、ザインは素直に腕を差し出し、巻かれた包帯を自らの手で取り去った。
「こっちは軽傷だね。それにしても筋肉、凄いな」
「……ただの体質だよ」
逞しい腕には、刀を受け止めた時の傷が幾つも刻まれている。
タオルをまた新しいものと交換し、丁寧に血を拭き取った。彼のものと、恐らくあの死んでいた少女のものが混じった血。
こんなに沢山の血を見たのは初めてだ。気が滅入ってくる。

「そういえば、君の知り合いはどうしたんだろうな」
希望の持てるような話をしよう。そう考えて、ふと思い出す。
蓮華台でゲームに乗らないよう皆に呼び掛けていた時、ザインには一緒に行動していた仲間がいたはずだ。
「アレフなら……きっと無事だよ」
「信頼してるんだな」
答えるザインの声には、不安の響きはなかった。
アレフ、という名は確かに放送された死者の中にはいなかった。が、それからも街のそこここで戦いは続いているのだ。
それでも無事だと言えるほど、信頼できる実力の持ち主なのだろう。
そして、信頼しているのは実力だけでないことも、その口調からは窺えた。
「もし僕が死んでも、アレフはきっとこの状況に立ち向かってくれる。独りでも」
「おいおい。縁起でもないな」
「……すまない」
弱々しく笑顔を作り、ザインは俯いてしまう。
少し気まずくなって、彼の肩をぽんと叩いた。
「生き残るんだろう。それに彼だって、きっと独りのままじゃない」
こんな場所からは脱出したい、殺し合いなんて真っ平だと思っている人間は少なくはないはずだ。
自分達と同じように、出会った同士で同盟を結び、行動を共にしている者達もいるだろう。
「そう……だな。アレフなら、きっと……」
「仲間になってくれる人達が、もっといるはずだ。だから、生き延びないと。合流できるように」
言い聞かせたのは彼に対してよりも、不安に負けそうな自分に対してだったかもしれない。
――「きっと」と「はず」と「だろう」ばかりの希望的な予測。それが、今は一縷の光だった。

「じゃあ、腕の次は……と」
次の傷を拭き清めようとその部位を見て、思わず手も言葉も止まる。
「……酷いものだろう? でも、大丈夫だよ」
絶句の意味を悟ったのだろう――理解できないはずもなかったが。穏やかにザインが言う。
「お陰で出血は止まった。感覚も、なくなってきてる……痛みもあまり感じないんだ。
……もしかしたら、普通の弾で撃たれるより良かったのかもしれないな」
(いいもんか、これが)
言い掛けた反論を飲み込む。確かに、痛覚が失せているのは幸いかもしれない。しかしこれは、致命的じゃないのか?
蓮華台で撃たれた時の脇腹の傷。倒れていた彼を助けた時にも見て、応急手当てをした。
が、その時は傷の周りの僅かな部分が石化しているだけだった。
それが今はどうだ。たったの数時間で、石化した部分は何倍にも面積を広げている。
このまま治せなかったら、彼が動けるのは後どのくらいの間だろう。
全身が固まりこそしなくとも、手足が動かなくなったら何もできない。そうなった時、彼を守れるだろうか?
――無理だ。守る力なんてありやしない。戦いの場で、自分がどれだけ無力かはよく知っている。
「味方が必要だな。僕達には、もっと」
否定的なことは口にしたくなくて、言葉を濁した。
二人だけではどうにもならない、と認めたに他ならない言い草ではあったけれど。
冷たい石と化した皮膚をタオルで拭いて、血の汚れを拭う。
柔らかい布を通して伝わる無機的な感触が怖くて、悲しくて、遣る瀬なかった。

「……よし。こんなもんかな」
背中と腕の傷に塗ると、手持ちの傷薬はほとんどなくなってしまった。
しかしこれ以上傷が増えるようなことになってほしくはないし、薬はどこかで入手できるかもしれないから、
薬を惜しんで手当てをおろそかにすることもないだろう。
元通りとはいかないが一先ず痛々しくは見えないように、救急箱から手に入れた包帯を彼の体に巻き付ける。
実際やってみると、結構な手間が掛かる。
毎日着替えの度に包帯を巻き直していたのだろう彼は、意外とまめな性格なのかもしれない。
「世話になってばかりだな……」
「そうでもないさ。さっきは、僕独りじゃどうにもならなかった。二人いたから、二人とも生き残れたんだ」
「……ありがとう」
俯いたまま、ザインは呟く声で応えた。
(――参ったなあ)
背を向けている彼には見えないように、密かに肩を竦める。
弱気になってしまう気持ちは、解らなくもない。いや、彼の今の状況で、そうならない方がおかしい。
しかし、気にしなくてもいいことまで負い目に感じていては、いずれ押し潰される。
ザインのような自分を大切にすることを知らない人間ならば、尚更だ。
「疲れてるだろう。僕が見張ってるから、休むといい」
椅子の前に回り込んで、俯いたザインの顔を覗き込む。わざとおどけた仕草で、笑顔を作ってみせた。
「あなたも……疲れているんじゃないのか?」
「君ほどは疲れてない」
随分歩き回ったり走ったりして、運動不足の身にはなかなか堪えたが、ただの疲労なら充分な休息を取れば回復する。
尤も、明日辺りには筋肉痛に悩まされるかもしれない――明日まで生きていれば、だが。
「したいこともあるしな。折角PCが手元にあるんだ」
「……すまない。好意に甘える」
「謝ることないって。子供は大人に甘えていいんだ」
思わずそんな言葉が口をついて出てきて、我ながら変な言い草だと思う。
子供の世話を焼くのは嫌いではないが、少年と言っても十代後半にもなれば半分大人のようなものだ。
彼と同年代であろうスプーキーズの面々に対しては、甘やかそうなどと思ったことはないのだが。
しかも彼はどう見ても、庇護欲をそそるタイプではない。寧ろ頼もしく見えるはずなのに。
「――驚いたな」
意外そうな表情をして、ザインが顔を挙げた。
「子供なんて言われたのは、生まれて初めてだ」
「初めてって……小さい時くらいは言われただろう?」
「……そういえば、そうか」
ザインは、まるで本当に初めて気付いたような顔をする。何に納得しているのか訳が解らない。
自分も老け顔で、十代の頃に成人と勘違いされることも少なくない――今は中年と勘違いされる――が、それとは問題が違う気がする。
恐らく違う世界、或いは違う時代の人間で、学校に行ったこともなく若くして戦いの中に身を置いていたという彼。
少年らしい生活など許されず、知らずに育ってきたのだろうか。
「……君は、死んじゃ駄目だ」
「え?」
「まだまだ、人生の楽しいことなんか全然味わってないだろう。そのまま終わっちゃ駄目だ」
口に出すまでもなく、彼を死なせるつもりはないし、本人も死ぬつもりだという訳ではないだろう。
しかし、強く念を押しておかなければ、彼は何かの弾みであっさりと命を捨ててしまいそうな、そんな不安があった。
縁起でもない、と笑い飛ばしてくれたら、まだ安心できるのだが。
「……ありがとう」
案の定、彼は困ったような微笑を返す。
その反応は、彼自身もある種受け入れる姿勢で死を意識していたということに他ならない。

「さ。生き残るためにも、もう寝るんだ」
その悲壮な覚悟に気付かなかった振りをして、軽い口調で言った。
「ああ……そうするよ」
少しよろめきながら椅子から立ち上がり、彼は壁に凭れ掛かるように座った。
そのまま、石化した左脇腹を下にして壁際に横たわる。それだけの動きでも、かなり動き難そうなのが見て取れた。
「おやすみ」
「……うん。おやすみ……」
よほど疲れ果てていたのだろう。横になるとすぐに目を閉じ、数分も経たない内に寝息を立て始めた。
こんな硬い床の上でなく、もっと柔らかい寝床を早めに確保しなければ、と思う。

「さて、と」
彼が目覚めるのをただ待つ以外にも、することはあった。
今できる、唯一と言ってもいいこと。
ザックの中に突っ込んだままだったノートPCを取り出し、開く。随分乱暴に持ち運んでしまったが、まあ、この程度では壊れないだろう。
道具を粗末に扱うのは好きではないが、背に腹は代えられない状況というのもある。
椅子に腰掛けると、カウンターに置いたPCに心の中で小さく謝って電源を入れた。
ポケットから取り出した煙草にライターで火を点け、一息吸い込んだ辺りで、見慣れたアルゴンOSのスタートアップ画面が現れる。
ザインと彼の仲間は、操作方法が掴めなかったらしい。
普段から使い慣れていると忘れがちだが、アルゴンOSのインターフェイスは独特だ。馴染みがないと、すぐには把握できないだろう。
まずは、先程は確認できなかった部分までじっくりと、インストールされているソフトを確認する。
例の悪魔召喚プログラム以外には目立ったものはない。標準的なプリインストールソフトが並んでいるだけだ。
ネットワークへの接続は、当然できない。機器も何もないのだからこれは当然だ。
一つの市が丸ごと外界から隔離されているというこの状況では、外部のネットワークに繋がる回線が引かれている望みも薄いだろう。
ただ、然るべき機器さえあれば他のPC、それからPCと接続できる類の電子機器とは繋がりそうだ。
思い通りにいくとは限らない。しかし、だからといって何もしない訳にはいかない。
今は手持ちの道具と才覚でできることを増やして、とにかく選択肢を広げることが重要なのだ。
「まあ、こんなもん――か」
一通りの確認を終えると、次の仕事に取り掛かる。
この街について、自分達はあまりに何も知らない。支給された地図も不完全な代物だ。
脱出する術を探すにしても、殺人者の毒牙から逃げ回るにしても、地の利を掴まなければどうしようもない。
そして、自分の足で歩いて頭で把握するのは容易ではない。歩き回るだけでも危険が伴うし、疲労もする。当然時間も費やす。
何より、人間の記憶は他者に正確に、過不足なく伝達することが困難だ。

するべきことは明白だった。
まず前提として、このゲームに抵抗するには協力者が必要である。
そして、生き残るためには地理を把握することが有利に働くだろう。
慣れない街の地理は、そう簡単に把握できるものでもない。人間の頭で全ては記憶できない。
協力者と手分けして区域ごとに調べたとしても、自分が実際にその場所を歩いた経験は人には伝えきれない。
しかし、PCがあれば違う。調べたことをデータとして残しておけば、記憶しなくともいつでも参照できる。
それにデータなら、人に渡すのも容易だ。
当然、協力者が見付かったらまずPCショップを押さえ、人数分のノートPCを確保するつもりだ。
遠隔地との通信ができないのは残念だが、手分けして調査した後に合流してデータを交換できるだけでも随分手間を省ける。
尤も、それを実現させるには、別行動を取っても危険がない程度の人数を確保することが必要になるが。
一心不乱にキーボードを叩き続ける。あまり時間を掛ける余裕はないから、オートマッピングのような複雑なプログラムは組めない。
役立ちそうな店、誰かに遭遇したり死体を見たりしたこと、悪魔出現地帯などの情報を地図上に書き込めるソフトを作るのがせいぜいだ。
その地図も、支給されたものから画像を取り込む手段がない以上、各区の形を真似て手描きするしかない。
誰かの支給品に高性能なマッピングソフトでもあれば助かるのだが、と贅沢なことを考える。
PCショップでの入手は期待できない。街並みから察するに、この世界は近過去だ。
店頭に並んでいるソフトは低機能なものが多いだろうし、そもそも下手をするとアルゴンOSでは動かない。
勿論、逆のことも言える。
折角プログラムを組んでも、それがアルゴンOSに依存したものでは、この街で手に入るPCでは動作しない恐れがあるということだ。
だから、念のためプログラムに使う言語は、それなりに昔から使われているものにした。
実際に使うことはないと思っていたが、参考のためにと古い言語も勉強しておいて良かったと心底思う。
PC同士の接続には問題ないはずだ。相当時代を遡っていない限り、ケーブルの規格に違いはないだろう。
(――僕もなかなか、役に立てそうじゃないか)
煙草と休息、そして得意分野で仲間に貢献できるという期待が、心に余裕を取り戻させていた。
腕の疲れも忘れて、文字列を打ち込んでいく。

数本目の煙草の吸殻を床に落として踏み消した。喫煙マナーとしてはよろしくないが、悠長に灰皿を探している暇はない。
気が咎めない訳ではないが、今は勘弁してもらおう――と、誰にともなく赦しを願う。
ポケットから煙草の箱を取り出して、その軽さに気付いた。
「……参ったな」
箱の中に、次の一本はもう存在しなかった。
画面から目を離し、空になった箱を眺めて考える。どこで補充すべきか、を。
一度は気を取り直せたとはいえ、煙草が切れればまた弱い心が頭をもたげてきてしまいそうだった。
精神の安定のためにも、作業への集中のためにも、煙草は是非とも入手したい。
しかし当然のことながら、文具店に煙草は置いていない。探すにはここを出ることが必要だ。
金髪の男から逃げてきたのは、三時間ほど前。あの男はまだ近くにいるだろうか。
あの男でなくとも、誰か危険な相手に姿を見られることはないだろうか。そんな不安が過ぎる。
しかしこの店に入る前、確か数十メートル先にはコンビニの看板が見えていたはずだ。
ここにしばらく潜むつもりなら、煙草だけでなく食料ももう少し調達しておいた方がいいだろう。コンビニには行っておきたい。
――椅子に腰掛けたまま少し逡巡し、やがて立ち上がる。
「うん……大丈夫、だよな」
怪しい人影が見えたら隠れればいいし、いざとなったらあの石もある。
ザックから残り二個の石を取り出し、ズボンのポケットに入れた。
それから、一応他にも武器になる物はあった方がいい。陳列棚からカッターナイフを拝借し、パッケージから取り出す。
ついでにメモ帳とボールペンも持ち出し、メモの最初の一枚にこう書いた。
『煙草と食料を確保してくる。すぐ戻るから待っていてほしい。スプーキー』
ふと悪戯心が起こって、余白にスプーキーズのシンボル、幽霊の絵を落書きしておいた。
その一枚をメモ帳から切り離し、カウンターの上に置く。残ったメモ帳とペンは念のためザックに放り込む。

「じゃあ、行ってくるよ」
眠っているザインに声を掛け、歩き出そうとして――動きを止めた。
一度ザックを置いてスーツの上着を脱ぐと、横たわっている彼にそっと被せる。
大して暖かくもないだろうが、何も掛けないよりはましだろう。
「……すぐ、戻るからな」
呟いて、もう一度ザックを肩に担ぎ、PCを手に取る。
プログラムは未完成だが、余裕があればこの周辺のデータだけでも入力しておきたい。
入口の前から窺った限りでは、外に人影はない。少なくとも、ここから見える範囲は安全だ。
それでも慎重に辺りを見回しながら、通りへ歩き出す。



<時刻:午前10時頃>
【スプーキー(ソウルハッカーズ)】
状態:少し疲労
武器:マハジオストーン(残り2個)、カッターナイフ
道具:ノートPC、メモ帳、ボールペン
現在地:夢崎区、小さめの通り
行動方針:PC周辺機器の入手、仲間を探す、簡易マッピングプログラム作成、煙草と食料の調達

【ザイン(真・女神転生2)】
状態:睡眠中。
 背中に深い刀傷、腕・拳に刀傷多数、胸部打撲、石化進行中(脇腹の出血は石化により止まる)
武器:クイーンビュート(装備不可能)
道具:スプーキーのメモ、スーツの上着
現在地:夢崎区、小さめの通りにある文具店
行動方針:仲間を集めてゲームを止める、石化を治す

***** 女神転生バトルロワイアル *****
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