女神転生バトルロワイアルまとめ
第85話 大人の責務

案ずるより産むが易し、とはよく言ったものだ。少し明るくなった気分で、菓子パンの棚を物色する。
コンビニまでの道程は五十メートル足らず。誰にも会わず、何事もなく通過することができた。
カウンターの奥から煙草を数箱と、予備のライターをまず入手した。
パッケージが少し違って、いつもの銘柄の煙草を探し出すのに少し苦労した。
この銘柄が存在する、しかしパッケージは違う、そんな程度のパラレルワールド。
不思議なものだと、つくづく思う。そういえばコンビニの店名も知っているものだ。
パラレルワールドというのは、過去のどこかで枝分かれして生まれたものであるはず。
自分の知っている世界と今いるこの世界は、どんな違いで生まれたものなのか。
ザインが住んでいた世界、少年が学校にも行けず秩序を守らなければならないような世界は、どうして生まれたのか。
自分のいた「現代」からそのまま時が流れたら、そんな未来に辿り着いてしまうのだろうか。
思考することは嫌いではなかった。だから、世界の繋がりを考えることはいい気分転換になった。
出会った人々の姿から垣間見た別世界は決して幸せそうなものではなかったが、考えている間は恐怖を忘れられた。

棚に並ぶパンの中から、ある程度なら日持ちしそうな物を選んでビニール袋に詰めてゆく。
何でも一緒くたにザックに放り込むのも抵抗があったので、この袋もレジから拝借した。
食品用、飲料用、雑貨用と三枚。これ以上に増やすと荷物になりすぎる。
パンを選んだ後は、奥の冷蔵棚に並んだペットボトルを眺める。
あまり多く持っては嵩張るので、ミニボトル入りの水を五本とスポーツドリンクを二本取り出して袋に入れる。
電気は通っていないのだろう、ボトルの中の液体はあまり冷えてはいない。
栄養ドリンクの棚が目に入る。適当な一本を手に取って蓋を開け、そのまま一気飲みした。
これだけで疲労が取れれば苦労はしないが、気分だけでも元気を出しておきたかった。
次に、菓子の棚を覗く。食料が乏しい時のエネルギー源と言えば、チョコレートと相場が決まっている。
この街の中に存在する量的には食料は乏しい訳ではないが、いつでも入手できるとは限らないのだ。
雪山での遭難者がチョコレート一枚で生き延びた、などという話は昔からよく聞く。
実際の栄養価がどの程度のものかは知らないが、こういう時、イメージの影響力は絶大だった。
棚にあるだけの板チョコを袋に詰める。十枚近いだろうか。
嵩張らないから持ち歩くにはいいものの、こんなにチョコレートばかり食べ続けたくはないな、と思った。


最後に、店の入口近くの棚にある雑貨を見る。
タオル、剃刀、石鹸、ウェットティッシュ。あれば便利そうな物が並んでいて、どれを持っていくか悩む。
傷を負った時などは、清潔にしておくことは重要だ。雑菌が入ったりすると厄介なことになる。
それを考え、まずウェットティッシュを一パックとチューブ入りのハンドソープを袋に詰めた。
もう少し見回すと、バンドエイドと消毒液が目に入る。
この状況ではバンドエイドは大した役には立たないだろう。消毒液だけを手に取り、袋に投げ入れる。
武器になりそうな物もないかと期待したのだが、せいぜい文具店にもあった鋏やカッター程度しかない。
他に役に立ちそうな物と言えば電池くらいだ。今は電池を使うような道具は持っていないが、後々役立つかも知れない。
十本で一纏めになっている単三のアルカリ電池を、取り敢えず袋に入れる。
ここで入手できそうな物はこんなところか。
隠れ場所からは近いのだから、後で何か思い出したらまた取りに来ればいい。

店を出ようと、ドアの前に立つ。本来ならば自動ドアなのだろうが、電気の通っていない今は動かない。
手動で開けようと透明なドアに手を触れ、外の様子を窺ったところで――異変に気付いた。
来た時は人の気配などまるでなかった静かな通り。そこに、人影に似たものが見えた。
似たもの、であって人影ではない。正確には、人間の影ではなかった。
背中に、鳥に似た大きな翼――それさえなければ、その影は人間に見えていただろう。
このような生き物を何と呼ぶかは知っていた。
天使、或いは悪魔だ。
冷や汗が流れる。確かに放送の声は悪魔が出現するようなことを告げてはいたが、市内全域にではなかったはずだ。
悪魔が出現する場所はあっても、それは一部。他の場所には悪魔はいないはず。
現に、今まで移動していた間には一度も悪魔とは遭遇していない。
いるはずのない場所に悪魔がいるとすれば、理由は一つ。
新のような人間――サマナー、と言ったか。悪魔を召喚し、使役する者がいるのだ。
充分に考えられることだ。今手元にあるこのPCにも、悪魔召喚プログラムがインストールされている。
同じものを支給され、使いこなしている人間がいたとしても不思議はない。
それが新であればいいのだが、今この場からそれを判断する術はない。悪魔本人に聞く訳にもいくまい。
あの天使を使役しているサマナーが殺し合いのゲームに乗っていたなら、見付かった瞬間襲われる可能性さえあるのだ。
(どうする?)
じっと動かず、天使の様子を見守る。
これほど近くに人がいるとは気付いていないようだが、その動作からは慎重さが窺えた。
何かを探すように、周囲を見回している。幸い、このコンビニの方向には視線は向けられていなかった。
こちらには背を向け、反対側に視線を巡らせている。
(待てよ。あっちは……!)
幸いなどとは言えない状況であることに、一瞬遅れて気付く。
天使が立っているのは、つい先程歩いてきた道の真ん中。その視線が向いているのは、文具店の方向だった。


戻ろうとしても、あの天使に気付かれずやり過ごすことは至難の業だ。
何しろ相手は道の真ん中に堂々と立っているのだ。来た時と同じ道は通れない。
別の通りに抜けて大回りをして戻ろうとしても、目的地である文具店の方向を奴は監視している。
再びこの通りに姿を現した瞬間、見付かってしまうだろう。
しかし、独りで逃げる訳にはいかない。
ここで身を潜めて待ち続ける訳にもいかない。天使の目的は定かではないが、文具店にはザインがいる。
無防備に眠っている彼が、奴に見付かってしまったら。最悪の事態も有り得るのだ。
いっそ堂々と出ていって声を掛けるというのも一瞬考えた。が、話の通じる相手とも限らない。
このPCに入っている例のプログラムがあれば、恐らく悪魔との交渉は可能なのだろう。
しかし、既に主人を持っている悪魔と交渉するというのは賢明とは思えなかった。
例えば、主人たるサマナーが「出会った者は全て殺せ」と命令していたら。
どんな風に話し掛けて何を提案したとしても、行動方針の優先順位を覆すことはできそうにない。
主人のいない悪魔ならば、利害が一致すれば味方に付けることも可能かも知れないのだが。

できれば見付からずに逃げたい。
しかし、奴を文具店から遠ざけておきたい。
恐怖と、仲間を助けたいという思い。二つの感情がせめぎ合う。
自分の身を守りたいなら簡単だ。奴が離れるまで、この店の奥で息を潜めていればいい。
ただし、隠れている間に何があっても――ザインが殺されようとしていたとしても、手出しはできなくなる。
文具店から遠ざけるなら? 無論、こちらに来させることだ。物音でも立てれば気は引けるだろう。
ただし当然、自分の身には大きな危険が降り掛かる。
(僕が無茶をして、共倒れになったら意味がない。いざという時に悪魔に対抗する力はザインの方が上だ)
この選択肢が、運命の分かれ目だ。テレビゲームだったらどちらかがゲームオーバーに繋がっていそうな局面。
(それに、奴があっちに向かったからと言って……ザインが見付かるとは限らない。
あの店は目立たない位置だし、店に逃げ込む前には地面に血の跡が残らないよう注意してた)
記憶を辿り、安心できる材料を探そうとする。
(でも……)
安心は、できなかった。
後から後から湧き出るのは不安と、罪悪感。仲間よりも保身を選ぼうとしていることへの。
(見張ってるから安心しろって、僕が言ったんだよな。甘えてもいいって)
その言葉を、ザインは信頼してくれたのだ。
裏切る訳にはいかないし、
(――子供を守れない大人なんて、最悪じゃないか)
彼が寄る辺ない小さな子供のように思えたことを、どうしても脳裏から拭い去れなかった。


手に持ったままだったPCの電源をそっと落として、ザックに入れた。
音を立てないように振り向いて、店内を見渡す。何か使えるものはないだろうか。
――あった。家族で遊ぶような花火セットだ。
派手な打ち上げ花火こそ入っていないが、これで充分だった。
下手に派手すぎる花火を上げてしまっては、あの天使以外の危機まで呼び込みかねない。
足音を忍ばせて棚に近付き、手を伸ばす。袋を千切って鼠花火を取り出した。数は二つ。
それを手に持ったままドアの前に戻った。逃げられそうな道を確認する。
出てすぐ右手、来たのとは反対の方に曲がり道があった。隣の通りへ抜ける道だろう。
(……よし)
静かに、動かない自動ドアを手で開く。通れる程度の隙間ができたところで、ライターで花火の片方に点火する。
通りに飛び出すと同時にそれを路上に投げ出して、曲がり角へと躍り込んだ。
後ろからしゅるしゅると鼠花火が回転する音がする。煙も上がっているだろう。
「誰です!」
声がした。中性的な響き。声の主は天使と考えていいだろう。
飛び込んだ道をそのまま走る。一つ向こうの通りが見えた。確認する余裕もなく、そこへ飛び出す。
幸いこの通りにも人影はなかった。左へ曲がれば文具店からは遠ざかる。方向転換しながら、もう一つの花火にも点火した。
「そこか!」
曲がってきた道の方から、また声がする。狙い通り、こちらを追ってきてくれているようだ。
通りに鼠花火を投げて、また手近な曲がり角に飛び込んだ。
曲がった先には、ドアもなく開け放たれているビルの入口があった。そこに逃げ込み、身を潜める。
相手は翼を持つ生き物。道を走っていたのでは、空から探されたら丸見えだ。
――案の定、やがて遠くから聞こえる鼠花火の音に混じって、鳥にしては大きな羽ばたきの音が聞こえた。
静かな街の中では、そんな小さな物音もはっきりと聞こえる。
乱れた呼吸の音も聞こえてしまわないかと恐ろしくなり、荒い息を必死に抑え込む。
ふと思い出して、手に提げたビニール袋から水のボトルを取り出し、半分程度まで一気に喉に流し込んだ。
それで息は幾分落ち着いたが、それと同時にこの袋の結構な重さに気付く。
ザックの中にもまだ水は入っていたはずだ。飲料と雑貨の袋はここに置いていくことにした。

花火の音も止んでしばらく経った頃、再び羽音が聞こえた。遠くはなく、近くもない距離に思える。
今度は羽ばたく音に続いて、アスファルトを踏む音がした。着地したのだ。
ここを見付かる前に、離れた方がいい。慎重に、今見える範囲の光景を観察する。


このビルの入口は曲がり道の途中にあった。その道を抜ければもう一つ向こうの通り。
コンビニのあった通りから見れば、二つ離れた通りということになる。今までの二本の通りに比べて広い。
(……待てよ?)
この光景は、見たことがあるような気がする。
そう、つい数時間前だ。ザインと共に夢崎区に踏み込んで、最初に歩いた通りではないか。
つまり、この通りのどこかには戦いの跡があり、恐らくはまだ少女の死体が放置されているのだ。
また嫌な汗が出てくる。あの金髪の男も、近くにいるのかも知れない。
天使がうろついている以上、ザインの待つ文具店に戻るのは危険が大きすぎる。
かと言って、ここに留まっていたくもない。
となれば――残る選択肢は、気付かれないように通りに出て別の場所を目指すということになる。
金髪の男はゲームに乗っている、つまり人を探して殺そうとしているに違いない。
ならば、彼は人の多そうな夢崎区に留まっている可能性が高い。
出会いたくなければそれとは反対側、元来た蓮華台の方へ進んだ方が良さそうだ。
(ひとまず、天使は遠ざけた。あいつはしばらくこの周辺で僕を探すだろう。
だったら……ここを離れて、別の仲間を探してから戻ってきた方がいいかも知れないな)
ザインの安全が確保されたと言い切れる状況ではない。しかし、天使を引き離したことで時間稼ぎにはなるはずだ。
しばらく経てばザインも多少は疲労を回復し、目を覚ますだろう。――そう、信じたい。
(必ず、戻る。だから……僕が生きて戻るために、今は)
ビルの入口から顔を出して、通りの様子を窺った。誰もいない。空も見上げてみるが、天使の姿はない。
音を立てそうなビニール袋は捨てていくことにし、食料はザックに入れた。パンが潰れそうだが仕方がない。
そっと外に出て、足音を殺しながら通りに出る。
左右を見ると、右側に少女の死体を見付けたマンションが見えた。蓮華台の方向は左だ。
あのマンションの前を通らなくていいことに安堵し、左へ曲がって歩道の建物側の端を歩き出す。
来た時は二人で通った道。独りで歩けば、蓮華台までの道はあの時より、長く感じるだろう。



<時刻:午前11時頃>
【スプーキー(ソウルハッカーズ)】
状態:少し疲労
武器:マハジオストーン(残り2個)、カッターナイフ
道具:ノートPC、メモ帳、ボールペン、食料少し(菓子パン数個と板チョコ約10枚)
現在地:夢崎区から蓮華台へ移動中
行動方針:仲間を見付けて夢崎区に戻る、PC周辺機器の入手、簡易マッピングプログラム作成

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