女神転生バトルロワイアルまとめ
第88話 彼と彼女の不運

余計なことは考えないよう努めながら、歩き続けた。
手掛かりは、彼女の痕跡だけ。
生命の失われた体から、ヒロコは血を流していた。今では、もう流れる血もなくなってしまったろうけれど。
血の滴った後を辿って、彼女が元来た方向へ歩く。
アスファルトの上には点々と黒ずんだ血の跡が、そして時々ガラスの小さな破片があった。
ザ・ヒーロー達に出会う前、ガラスが割れる音を聞いたことを思い出す。
恐らくヒロコはどこかで彼らと争い、ガラスに突っ込んだのだろう。
そういえば、伽耶と呼ばれていた少女が彼女を鉄パイプで刺したと言っていた。
大量の血が流れ出ていたあの傷は、その時のものだろうか。
だとしたら、血の跡を辿っても判るのは格闘の現場までだ。ヒロコがどこで殺されたかは判らない。
(……待てよ)
そこまで考えが行き着いたところで、ふと気付く。
ヒロコの体には、鉄パイプで刺された痕とガラスが刺さっていた以外、目立った外傷はなかった。
つまり――彼女は少なくとも、血の出るような殺され方をしたのではないのだ。
銃や刃物ではない。鈍器だとしても、命を奪うほどの一撃なら傷は残りそうなものだ。
火傷や凍傷の痕もなかったから、炎や氷結の魔法でもないだろう。
彼女はこの状況で見知らぬ相手を簡単に信頼するほど愚かではないから、食品類に毒を混ぜられた線も薄い。
毒ガスのような物を使われたのだとすると、相手は自分が毒を受けない方法を確保していることになる。
が、武器として毒ガスを支給された人物に、毒消しやガスマスクが運良く支給されるとは考え難い。
そんな幸運が絶対ないとは言えないし、先に別の誰かを殺して奪ったのかも知れないが、高い可能性ではないだろう。
だとすると、考えられるのは解毒の魔法だ。
或いは、武器が毒ガスでないとすれば、ヒロコの命を奪ったのはそれこそ呪殺の魔法。
どちらにしても、敵が魔法の使い手である可能性は高いと考えておいていいだろう。
魔法が使えない自分がそれに対抗するには、何が必要か――

「……ここ、か」
考えながら歩く内、戦闘の現場は見付かった。
向かい合わせになった二つの店のショーウィンドウが割れて、辺りに血が飛び散っている。
ガラスが割れる音はここから聞こえていたのだろう。光景を見ただけで、戦闘の激しさは想像できた。
しかしここには恐らく、もう誰もいない。こんな場所に長居したいと思う者はそういないだろう。
そして、ヒロコが最初に血を流したのはここだ。手掛かりは途切れてしまった。
あとは、勘を頼りにこの通りを進んでゆくしかない。
そういえばザ・ヒーローは双眼鏡を二つ持っていた。
ザ・ヒーローと伽耶、二人の支給品が同じだったとは考え難い。どこからか調達したのだろう。
だとすれば、双眼鏡がありそうな店を探せば手掛かりになるだろうか?
そう考えて、また行き詰まる。この時代では双眼鏡がどんな店に売っているのか、想像もつかない。
ヴァルハラでなら、コロシアムの試合を後ろの安い席で見る客を当て込んでジャンク屋が売っていたものだが。
ここが異邦の地であることを、改めて思い知らされる。
(それこそケルベロスでもいれば、匂いを辿ってもらえるのにな)
マダムから借り受けたケルベロスを伴って、スラム街に行った時のことを思い出す。
慣れない、治安も悪い場所だったけれど、あの時は今のようには心細くなかった。
ケルベロスも、仲魔もいたし、隣にはヒロコがいてくれたから。
けれど、今は側には誰もいない。記憶を失ってただ独りヴァルハラを彷徨っていた頃に戻ってしまったような気分だ。
そしてヴァルハラのような喧騒も、ここにはない。
栄えていた街であったろうに、この街並みには自分の足音の他には物音ひとつ聞こえない。
足を止めたら、誰かの声が聞こえはしないだろうか?
ふとそんなことを思い付き、立ち止まる。足音が止み、辺りは完全な静寂に包まれた。
――いや。
(……あれは?)
遠くから、ふと何かが聞こえた気がした。
最初は赤ん坊の泣き声のように聞こえた。が、赤ん坊などいるはずもない。
耳を澄まし、神経を集中する。聞こえる声は複数。言葉ではない、ただの声――鳴き声だ。
(カラス……か?)
鳥の名前はほとんど知らなかったが、カラスくらいは知っている。ヴァルハラに住み着いている数少ない鳥だったからだ。
カラスが漁るものといえば、ゴミと――死体。
それに思い至り、はっとして歩みを再開する。声の聞こえた方向はおぼろげにだが判った。

今まで歩いてきた道の中でも一際華やかな看板の並ぶストリート。繁華街と呼ばれる場所だったのだろう。
そこに人の気配がないのが、却って不自然で、不気味だった。
カラスの声の源はすぐに判った。道の片隅の何かに何羽ものカラスが群がっている。
不吉な黒い羽に覆い尽くされてはいても、それが何であるかの予想は付いた。
無言で近付く。カラスが気付いて威嚇の声を上げたが、構わず歩み寄る。
本来の住人の消えた街に、生き物はまだ取り残されていたのだろうか。
人間の出す残飯もなくなり、カラスも餓えているのかも知れない。人が近付いても飛び立とうとはしなかった。
「……どけよ」
距離が近くなり、黒い羽の隙間からちらほらと「それ」が垣間見え始める。
カラスに罪はない。彼らには人間の持つ倫理という概念はなく、「それ」もただの食料なのだ。
しかし人間の感覚は、この光景を惨たらしいものと感じる。
「どけって言ってるだろ!」
恐怖を紛らわしたかったのかも知れない。言葉が通じるはずもないのに声を荒げて、腰の拳銃を抜いた。
追い散らすには当てる必要もない。地面に向かって一発撃つと、銃声に驚いたカラス達は慌てて飛び立ち、逃げ出した。
残されていたのは、案の定――人間だったもの。
その服も長い金髪も血と泥に汚れ、体も食い荒らされて無残な姿になっているが、恐らくは女性だったのだろう。
白い肌に、カラスの爪や嘴の跡が痛々しく残っている。
首はあらぬ方向に捻じ曲がり――これはカラスの仕業ではなさそうだ――ところどころ欠損してはいるが、人の形は保っていた。
目を逸らしたくなるような惨状。しかし、逃げてはいけない。
「……ごめんな」
名前も知らない、骸となった女性に向けて、ただ一言を呟いた。


「全く……ついてないわね」
ここまで来ればもう安全だろう。ビルの壁に寄り掛かり、溜息をついた。
参加者は市内のどこかに転送される、とスピーカーから聞こえた声は言っていた。
しかし、自分ほど運の悪い転送先を引き当ててしまった者はそういないだろう。何しろ、悪魔の住処の真ん中だ。
どういう訳かは知らないが、このスマル市という街は多くの場所が異界化している。
街にある普通の施設にも、悪魔に占拠されている場所は少なくないようだ。
幸い、道路にまで悪魔が闊歩している状態ではないらしい。
かなりの時間を浪費してしまったが、外に出ることができた今なら、少なくとも悪魔に襲われる心配はなさそうだ。
「悪魔にだけ用心すればいい、って訳でもなさそうだけど……こんな状態だし、ね」
また溜息をつく。悪魔の生息地を脱出するのに手間取ってしまったのには理由があった。
魔法が使えれば下級の悪魔など敵ではない。少しは消耗するだろうが、悪魔を蹴散らして出てくることは簡単だったはずだ。
――ただし、魔法を使えればの話だ。
不運が重なったと言うべきか、不覚を取ったと言うべきか、悪魔からマカジャマの魔法を受けてしまったのである。
女神の力も、魔法を封じられてしまえば無力だった。
武術の心得もあるにはあるが、人間としては強いという程度。それだけで多数の悪魔の相手ができるほどではない。
支給された武器は柄だけの剣。この短さでは棍の代わりにもならない。
この状態で戦闘という危険を冒したくはなかった。
不運続きの中で唯一幸運だったのは、その悪魔の足が遅かったことだ。どうにか逃げ延び、身を隠しながら出口を探した。
壁の陰から悪魔が通り過ぎるのを根気良く待つようなことをしなくて済めば、もっと早く出て来られたのだが。
外に出て、初めて地図と名簿を確認した。どうやら現在地は夢崎区という区域らしい。
今は人影はないが、物の溢れる繁華街。ここを目指してくる参加者は多いだろう。
そして名簿。目を引く名前が幾つかあった。相棒に、何度も戦った敵に、新米サマナーの少年に――
「……ナオミ」
名簿のその部分を指でなぞって、呟いた。
よく知っている名前だ。どこにでもいそうな名前だが、別人でないことは明らかだった。
この死のゲームの参加者が一所に集められた時、確かに彼女の姿を見たのだ。
そして、彼女もこちらを見た。互いの存在をはっきりと認識した。
再会すればこうなることは解っていたが――彼女がこちらに向けた視線には、殺意が込められていた。
殺し合いに乗った者がいるかどうか、どれだけいるかは判らない。
しかし間違いなく言えるのは、ナオミと出会ったら戦いは避けられないということだ。
今の状態で出会ったら、勝ち目はない。

突然の銃声が、思考を中断させた。
誰かが発砲した。それも、音が聞こえる距離で。警戒して周囲を見回すと、街の一角からカラスの群れが飛び立つのが見えた。
銃声は一発きりで止み、再び静寂が訪れる。
(あの場所に、誰かいる……)
カラスが飛び立った場所はそう遠くはない。起こったことを確かめに行くべきか、逡巡する。
戦いが起こったのか。銃声が一発きりだったということは、それで勝負が決まったのだろうか。
それとも、銃声の主はこの状況を悲観して自ら命を絶ったのか。
確実なのは、その場所に少なくとも一人の人間がいること。生きているにせよ、死んでいるにせよ。
その正体も意図も近付いてみなければ判らない。最悪、そこにいるのはナオミかも知れない。
しかし、人に出会うのを避け続けている訳にはいかないこともまた確かだ。
この街から脱出する方法を探すとすれば仲間は必要だ。キョウジとも合流したい。
魔法を使えない状態をどうにかする必要もある。つまり、回復魔法の使い手を探すということになる。
(行くしか、ないわね)
心を決めた。できるだけ足音を立てないように、その方向へ歩き出す。
気配を殺すのは得意だ。見付からないように様子を窺って、安全そうな相手なら近付けばいい。
しかし、もし戦いになりそうならば逃げるしかない。魔法が使えないままでは、銃を持った相手と戦うのは自殺行為だ。
話の解る相手であることを、守護神に祈る。

幾つかの道を曲がり、大通りに差し掛かったところでその光景は目に飛び込んできた。


人間の体を切断するというのは、思っていた以上に重労働だった。
血が付着すれば刃物の切れ味は落ちるし、脂で手が滑る。当然ながら、骨を断つには相当の力が必要だ。
道具も悪かった。今持っている刃物といえば、ベスに支給されていたチャクラムだけだ。
刃を当てた反対側から押さえようとすれば、自分の手も切れる。
かと言って真ん中の穴に指を入れて使うとなると、指一本分の力しか懸けられない。目的にはあまりに不充分だ。
何度も手を滑らせて指を傷付けながら、切断したい部分の肉を刃で切り離し、残った骨は両手で力を懸けて無理矢理に折る。
手を血塗れにして、重労働の疲労と罪深い行為を行っているという緊張感に息を荒げて、作業を続ける。
他のことは何も考えないように、一心不乱に。
五体が動く状態で放置されたら、この女性もゾンビとして甦らせられる危険性があるのだ。
それは他の全ての参加者にとって脅威だし、彼女を知る人の悲しみとショックは増すだろう。
そんな事態を避けるため、誰かが手を汚す必要がある。ネクロマ使いがいることを知っている誰かが。
(俺がこんなことしてるの、ベスが見てたら悲しむかな)
考えないようにしても、雑念は入り込む。
(ザインが知ったら軽蔑するかな)
考えずになど、いられるはずがない。
(ヒロコさんは、何て言うだろう)
ベスの仇を討ちたくて、ヒロコを解放したくて、それから街のどこかにいるザインを助けたくて、今の自分は動いているのだ。
彼らのことを忘れられるはずがない。ただの一時も。
(ごめん、みんな。許してくれないかも知れないけど、俺にはこれしかできない)
あの天使のように炎の魔法でも使えたら、こんな惨いことをする必要もないのに。
救世主と言っても、結局、殺すことと壊すことしかできないただの人間なのだ。

骨が砕ける嫌な音と感触がする。女性の白い腕が、体から切り離された。
これで両足の脛から先と、右手の肘から少し下以降を落とした。残るは左手だ。
屈んでいた体を伸ばし、深く息をついた――その時だった。
「あ……」
ふと気付いた気配の意味を、消耗した精神はすぐには察せなかった。
誰かがいる。その事実だけを飲み込んで視線を向けると、そこには見知らぬ女性の姿があった。
彼女の表情が恐怖と嫌悪に凍り付いている、というのを認識したのは一瞬後。

咄嗟に言葉が出てこない。反応に迷っている内に、女性は踵を返して走り出す。
「ま……待ってよ!」
追い掛けようとして気付いた。血塗れの手、足元に転がる切断された死体。
この光景を見た女性が、その意味をどう認識したか。
自分の手に視線を落とし、呆然とした。女性の姿はもう見えなくなっている。
「違うよ……」
届く訳がないと知りながら、絞り出すように呟いた。
「違う。俺じゃないんだ。……俺は、殺してなんてないのに」
泣きたい気分だった。あの女性は、戦いを挑んではこなかった。
こんな状況で出会ったのでなければ、理解者になってくれたかも知れなかったのに。
――ああ、けれど。
(『まだ』殺してないだけじゃ、同じなのかな……)
ネクロマの使い手を見付けたら殺すつもりなのだ。まだ手を下してはいないとは言え、人殺しには変わりない。
彼女の誤解を責める権利は、自分にはないのかも知れない。
もう戻れない所まで、来てしまったのだ。
天を仰いだ。空はもう明るい。その光が心に差した影を濃くするようで、痛いほど眩しく感じられた。



<時刻:午前8時>
【アレフ(真・女神転生2)】
状態:左腕にガラスの破片で抉られた傷、精神的落ち込み
武器:ドミネーター(弾丸1発消費)、チャクラム
道具:ベスのザック(食料・水2人分+ベスの支給品)、バンダナ
現在地:夢崎区、繁華街
行動方針:ネクロマの術者を倒し、ヒロコを解放する
【レイ・レイホウ(デビルサマナー)】
状態:CLOSE
武器:プラズマソード
道具:不明
現在地:夢崎区繁華街より逃走
行動方針:CLOSE状態の回復、キョウジとの合流

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