女は震えていた。
錯乱し、怯え、均衡を失っていた。
祈りを捧げるかのように跪き、自らの肩を抱き締め、今にも崩れ落ちそうにがくがくと身を震わせる。
金色の髪には、こびり付いて黒ずんだ血液。
白い指も、初めて見た時には美しい光沢のあったエナメル革のスーツも、乾きかけた血に汚れている。
哀れな姿だ。女を見下ろして、男はそう思う。
「私、あ、あ、アタシ……殺したの」
女が懺悔するように発した言葉に、男が反応する。
僅かに目を細め、口許を歪める。俯いた女にはそれは見えない。
「アレフを撃ったの。ナカマに、なるって言った。だから、だからアタシ、アレフの血と一緒になりたくて」
「……アレフ?」
女が他人の名を呼んだのは初めてだった。男の目から笑みが消える。
「そう、私、混じり合いたくて、アタシの流れた血とあの子の、アレフの血と……ナカマ……
だってアタシは、知ってるもの。そうよ良く、アレフの事、知ってる知ってる知ってる思い出せない」
言葉は次第に彼女自身にしか意味を持たぬものに、そして彼女自身にすら意味をなさない嗚咽に変わる。
男は、跪く女に歩み寄る。気配に女が顔を上げた。
美しい女だ。しかし整った貌もまた、返り血と彼女自身が流した血によって無残に汚されていた。
顔を挙げたことで露になった胸元も、かつては官能的な美を誇っていたのだろうが、今は見る影もない。
女の胸には、武骨な凶器で貫かれたに違いない穴が開いていた。
その周辺には当然ながら、夥しい出血の跡。
今の彼女を見れば誰もが美より、恐怖や禍々しさを感じるだろう。明らかに、生きていないのだから。
「アタシはアレフを撃ったの。憎くて殺したくて一緒になりたくて可哀想で。
でもあの子、女の子、テンプルナイトの……違ったのよ、違った、血を流したのはアレフじゃなくて……」
目の前の男の姿に触発されたのか、女は歯をがちがちと鳴らしながら懺悔を再開する。
それを罪と思う意識は、女には最早ない。
ただ己の中の静められぬ何か、強烈な感情の残滓を持て余しているのだ。
もう一歩、男が歩み寄る。
虚ろな目で、女は男を見上げながら聞き取れない言葉を繰り返している。
この地で初めて彼女を見た時も、こうだった。
彼女が異常な精神状態にあることは一目瞭然だった。生気のない目をして、跪き、天上の見えない何かに赦しを乞うていた。
その見えない何かを、まだ生きていた彼女は神と呼んだのだろう。
しかし周囲も見えず祈り続ける姿は崇高な聖女のそれでなく、狂人のものでしかなかった。
赦しを欲していたのではない、ただ赦されざることを恐れていたのだ。
まるで、自らが赦されざる存在であるという考えを植え付けられてでもいるように。
――しかし、男にはどうでもいいことだった。
彼女が信仰を持つ女だったのは彼にとって幸運であったが、それだけだ。
正気だろうと狂気に堕ちていようと、抵抗があろうとなかろうと、彼は彼女に同じものを与えただろう。
「……しんぷさま」
助けを求めるように呟いた女を、身を屈め、男は抱擁した。
女の震えが治まる。自らの肩を抱いていた手が、だらりと垂れ下がる。
「悩むことハ、ありませン」
柔和な声で、諭すように男は語り掛ける。優しさを装い、「本物の」神父のように。
この女は、まだ使える道具だ。
こうして一時の安定を与え、行く末の安息を信じさせていれば、手駒として使い続けることができる。
「――折角、何も恐れる必要のない体ヲ、あげたのですかラ」
「は……い」
女の声色から、感情の波が引いてゆく。
支配を揺るがせる感情が消えた今、男の呪縛は、死せる女を完全に捕らえていた。
「わかりますネ。あなたガ、するべきことハ」
虚ろだった女の目に、暗い火が灯る。
「殺す、こと」
「そうでス。殺し続けれバ、あなたは楽になれル。神様モ、それをお望みでス」
精神の均衡を失い、自らの罪に怯えていた女に、神父の出で立ちをした男の言葉は効果絶大だった。
逃げも抗いもせず死の呪法を受け入れたほどに。
男の声は、女にとってまさに神の声だった。
「殺したら……血が、アタシのものになるわ。赤い血が、沢山沢山」
既に血液のほとんどを失った彼女の体に、熱い血潮が戻ることなどありはしない。
どれほど欲しても、満たされることのない渇望なのだ。
しかし女は、それを理解するだけの理性を持たぬが故に、陶酔の表情で微笑む。
男は満足げに抱擁を解き、女の両肩に手を置いた。
細めた目でじっと見つめて――いま一度、命令を告げる。
「あなたの使命ハ、ひとツ。殺すのでス」
絶対の支配力を持った言葉。他のあらゆる思考も概念も、女の頭からは消え失せる。
殺せ。その命令だけが、彼女の中に響き渡っているだろう。術の効き目を確信し、男は更に目を細めた。
「……それにしてモ、予想外でス」
再び女を「狩り」に送り出した男は、その姿を見送りながら呟く。
生ける屍となった者が自我を保つことは、非常に稀である。
強靭な精神力か、何かに対する極めて強い執着心がなければ、生命への渇望と憎悪に囚われた屍鬼と化すのだ。
言わば死者の本能とでも呼ぶべきものに衝き動かされているだけだから、使役も容易い。
術を施した時、あの女の精神は弱り切っていた。強い感情や自我を持っているようには見えなかったが。
「アレフ……ト、言いましたカ」
女が口走っていた名を呟いてみる。生ける屍に、感情を甦らせかけた人間。興味が湧かなくもない。
「――しかシ」
男は首を横に振る。所詮、その男とて屍の人形ひとつ壊せなかった人間に過ぎない。
追い詰めてやるのも余興としては悪くないが、そこまで暇でもない。自ら手を下さねばならぬ相手は他にいるのだ。
「私モ、そろそろ動きましょうカ」
空を見上げる。日も高くなってきた。未明から動き続けている者は、疲れも出てくる頃だろう。
あの人形もだいぶ傷んでしまったから、次の人形も用意しておくべきかも知れない。
放送までに死んだ人間が十一人。あの女を除いても十人もいるのだ、使える死体もあるだろう。
死体を見付けられなかったら、作ればいい。
静かな街を、神父の法衣を纏った男――シド・デイビスは歩き出す。
この街に存在するあらゆる人間に、分け隔てなく死を与えるために。
<時刻:午前7時>
【シド・デイビス(真・女神転生デビルサマナー)】
状態:良好
武器:不明
道具:不明
仲魔:なし(ヒロコをゾンビ化して使役中)
現在地:夢崎区→青葉区方面に移動
行動方針:皆殺しでス
【ヒロコ(真・女神転生U)】
状態:死亡 ネクロマによりゾンビ状態(肉体強化、2度と死なない)
大道寺伽耶の一撃により胸に穴が開いているが活動に支障は0 ガラスの破片が多数刺さる
武器:マシンガン(銃弾はかなり消費)
道具:呪いの刻印探知機
仲魔:無し
現在地:夢崎区
行動方針:頭に響く殺せと言う命令に従い皆殺し |