女神転生バトルロワイアルまとめ
第107話 人の心と悪魔の本能

突如静寂を破った轟音に、椅子に腰掛けて腕を組んだままうとうとしていた克哉は跳ね起きた。
こんな状況なのに心理的疲労からつい転寝してしまったことを後悔するより先に身構える。
「何だ、何が起こった?」
声のした方向に顔を向けるとゴウトも身を堅くして周囲を伺っていた。
しばらく低く物々しい音が響いていたが、やがて静かになる。
そして再び静寂が訪れた。
だが、屋内であるスマル警察署内にも関わらずすさまじい殺気が張り詰めていた。
「誰かが戦っているようだな。」
「ああ。この音、魔法か何かを使ったのかもしれない。」
上の階で休んでいる二人の女性を起こしに行かなくては。
そう思って立ち上がったところでドアが開き、当の女性二人が現れた。
「周防さん、ゴウト、今の音って。」
弓子が不安そうな表情を浮かべている。
彼女はそう聞くが、既にアームターミナルを装着しているのだからある程度状況を理解しているようだ。
「どうする克哉。ここを動くか?」
ゴウトが二人を伺い、克哉の方に目を向けた。
「いや、急に動くのはかえって危険に飛び込むことになるかもしれない。
少し様子を見ることにしよう。」
言いながら克哉はベルトに刺した拳銃を抜く。
「でも、今こうしている間にも誰かが命を落としているかもしれませんわ。」
そう反論したのは英理子だ。
英理子は一度友人を目の前で亡くしている。
また、放送でも別の友人の死を知った彼女はいても立ってもいられないのだろう。
彼女の言い分も一理ある。
戦う意志の無い者が誰かに襲われていて、今自分達が駆けつけることによって助けられるかもしれないのだ。
助けられる命は、助けたい。その思いは全員に共通している。
だがここを動くということは、彼女達も危険に晒す可能性が上がることを意味するのだ。
克哉は判断を迷った。
「この街の地の利が解るのは克哉だけだ。
様子を見に行くのなら全員で移動した方がいいかもしれんな。」
すぐそばにいれば、二人と一匹を守ることが出来る。
「ああ。ゴウトの判断に従うとしよう。」
ゴウトの言葉に頷きながら、克哉は銃の安全装置を外した。

誰がどこに潜んでいるのか解らないから足音を出来るだけ潜ませ、外に出る。
ロビーを抜け、止まっている自動ドアをこじ開けて出ると、外は驚くほど静まり返っていた。
戦闘はもう終わったのだろうか。だが、気を抜くわけには行かなかった。
かすかだが、埃に混ざった血のにおいが漂っている。
「鳥が騒いでいるわね。戦闘があったのはそんなに遠くないわ。」
弓子が耳に手を当て、周囲の音を拾った。
「おいで、ミズチ。」
アームターミナルを起動させ、唯一の仲魔であるミズチを呼び出す。
「呼ンダカ。」
「ええ。近くで戦闘があったの。ひょっとしたら貴方の力を借りるかもしれないわ。」
「承知シタ。」
短いやり取りだが、ミズチは弓子の命令には絶対服従のようだ。
三人と一匹、そして仲魔一体は物陰に身を寄せながら少しずつ進む。
方向は血のにおいが強くなる方向。ひょっとしたら誰かが攻撃を受けているかもしれない。
見つけたら助ける。全員そのつもりであった。
「ミズチ、何かわかる?」
「死体ガ多イナ。」
「それは人間の?」
「イヤ、悪魔ダ。死ンデイルノハ悪魔ダケダ。」
その言葉に全員はほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも人間の犠牲者は出ていないことが解ったからだ。だが克哉とゴウトはその安堵感の中で何かが引っかかっていた。
「ミズチよ、その死体を作り出したのも悪魔か?」
そう訊ねたのはゴウトだ。
ゴウトの問いに、ミズチは長い身体に乗っている小さな頭を捻った。
「解ラヌ。人間ノ気配ニ近イ感覚モスルガ、コノ殺気ハ悪魔ニ近イ。」
「どういうことですの?」
ミズチの言っている意味が解らない英理子はストレートに疑問をぶつけた。
彼を召還した弓子自身も首をかしげている。
「それについては僕が話そう。憶測の域を出ないことだが……。」
少し迷っているような口ぶりで克哉が出た。ちらりとゴウトに視線を落とすと、彼は無言で頷いた。
ゴウトにもはっきりとした答えは出ていないようだ。
克哉は、弓子と英理子が休んでいる間に来訪者があったことを伝えた。
彼の弟と同じくらい、つまり弓子たちとも同年代の少年で、全身に幾何学模様の刺青が施されていたこと。
無口で、その時は好戦的な態度ではなかった。
それどころか、こちらに対しては控えめで、従順ですらあった。
だが、ゴウトに言わせると彼は人ではなく「悪魔」であるという。
それも、並みの悪魔が束になっても適わないような強力な力を秘めた――。
「悪魔を皆殺しにしたのは奴かもしれんな。」
「ならば、それほど心配はいらないだろう。少なくとも彼に敵意は無かった。」
「だが悪魔だぞ。悪魔は極めて気まぐれなものだ。安心はできん。」
ゴウトの言葉に女性二人が頷いた。
「そうですわね。私もそれで散々苦労しましたわ。」
「ミズチ、貴方はどう思う?」
弓子はミズチに話を振った。悪魔のことは悪魔に、というわけか。
ミズチはしばし沈黙したが、ややあって口を開く。
「気ガ変ワッタノダトシタラ、理由ハ明白ダ。」
「どういうこと?」
「気付カヌカ。月ノ満チ欠ケニ。」
ミヅチはぶるりと身体を震わせると空を見上げた。雲間から太陽が覗いている。
だがそれだけで彼らはピンときた。
今は昼間だから人間には見えないが、もしも今夜が満月ならば、悪魔の気が高ぶっている理由になる。
ミズチも同じく悪魔だが、仲魔として人間と一緒にいる以上、かなり自己を押さえつけているようだ。
「どうやら今彼に接触するのは良くないようだな。」
克哉は小さく溜息を漏らした。
「ならばこれ以上外に出ている理由は無いな。一度署に帰ろう。」
そう言って踵を返そうとした瞬間、四人と一匹、そして一体の輪の中に何かが落ちてきた。
それが人間の形をしており、周囲に張り詰めた殺気の原因だと知った時に――。
すでにミズチの身体が引き裂かれていた。

「!!!」
全員身構え、後ろに飛んで距離を取る。
現れた人の形をしたソレはミズチの返り血を全身に浴びて不気味に蠢いていた。
「君は……その腕は一体どうしたんだ…!」
「マ、マガツヒを…マガツヒをもっと……くっくく喰わせろ…!
マガツヒマガツヒマガツマガツマガッマガッ、ガガッ、ガァァァッ……!!」
低く唸るような声だ。その言葉一つ一つも飢えた亡者の呻きを思わせる。
本当はすぐにでも発砲しなくてはいけないのに、克哉は躊躇した。
一瞬でミズチを引き裂き、そこから浮かび上がる赤い光を吸収している人物。
それは先ほど克哉と会話したあの少年に他ならなかったからだ。
しかも左腕が根元から無い。
先の戦闘が彼だとしたら、その時失われたのだろうか。
かつて腕が生えていた場所は真っ赤に染まり、とめど無く血を滴らせている。
「Persona!」
最初に行動を起こしたのは英理子だった。
英理子のペルソナ、ニケーが現れ、赤い眼をらんらんと光らせる少年にガルの魔法を喰らわせる。
強烈な衝撃を受け、少年はコンクリートの壁に叩きつけられるが、ダメージはあまり受けていないようだ。
すぐに体勢を立て直し、首の間接を二、三度鳴らすと攻撃を加えた英理子に飛び掛った。
「危ない!」
「きゃあ!」
弓子のとっさの判断で、英理子を突き飛ばし、代わりに弓子の腕を少年の爪が捕らえる。
真紅の血が飛び散り、弓子のセーラー服の左袖が引き裂かれた。
「白鷺君!」
「Yumiko!」
「大丈夫、少し腕の肉を持っていかれただけだから…。」
気丈にそう言う弓子だが、右手で抑えた左腕からは血がどくどくと零れている。
少年は、弓子の血が付いた右手を舐めると、身をかがめて牙を剥き出し、こちらを威嚇した。
「克哉、話にならないようだぞ。逃げるか?」
「……」
「克哉!」
ゴウトに怒鳴られ、克哉ははっとした。
克哉は今の今まで、悪魔であっても彼には話が通じると信じきっていた。
だが、仲間が傷つけられ、ようやく戦わなければならないと気が付いたのだ。
それなのに、どこかでまだ、希望は捨て切れていないことも自覚していた。
「警察署に戻るぞ!」
克哉は叫ぶと、仲間たちを先導しながら駆け出した。
「克哉、何か考えがあるのか?」
「署内なら少し時間が稼げる。」

逃げながら克哉は弓子を庇い、英理子は効かないと解っていてもガルを連発した。
ガルは直接的なダメージこそ与えないが、悪魔と自分達の距離を少し稼いでくれる。
悪魔をのぞく全員が警察署のロビーに飛び込んだのを確認すると、克哉は拳銃の引き金を引いた。
弾丸は自動ドアと壁の境目に命中し、瞬時にけたたましい音を立て、シャッターが落ちてきた。
どうやら銃でシャッターの止め具を破壊したようだ。
すぐさまシャッターのロックを掛ける。
「これからどうしますの?
shutterだけではすぐに破られてしまいますわ。」
英理子は魔法を連発したせいか、他のメンバーよりも疲労が大きいようで息遣いが激しかった。
彼女の言うことはもっともだ。
すでに悪魔はシャッターを破壊すべく外からすさまじい攻撃を仕掛けている。
「それに、Yumikoの傷も…。」
「私は大丈夫。回復魔法をかけたから。」
本人がそう言うように、傷自体は塞がっているようで、もう血は流れていない。
だが出血と衝撃により、顔色は悪かった。
仲魔が一瞬で殺されたのもショックが大きかったのだろう。
「一度地下に降りる。地下は留置所だ。桐嶋君、まだ走れるか?」
「Yes.まだ大丈夫ですわ。」
「拘置所…なるほど、そういうことか。それなら少しだけ逃げる時間が稼げそうだな。」
ゴウトは留置所というだけで納得したようだ。他の二人も。
そうなると迷っている暇は無い。
すでにシャッターは外側から大きく凹み、新たな一撃が加わるごとに建物事態がきしんでいるようだった。
コトリと小さな音がし、そちらに一同が振り返ると、
ロビーカウンターの上に置かれていた警察署のマスコットキャラ「ピーポくん」の人形が転がり落ちていた。
それが外からの衝撃のすさまじさをつぶさに物語っていた。
彼らが地下へ向かう階段に飛び込むと同時にシャッターは弾き飛ばされ、激しい咆哮と共に悪魔が飛び込んだ。


悪魔は猛烈に餓えていた。

(足りない、血が足りない、マガツヒが足りない、何も足りない……。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足り、足りな…足り……
足りな足りたりなたりたりたりなた、たりっ、たりったったっ、
たたたたたたたたたたたたたたたたたりりりりりりりりりなっなっなっなつなつ!!!!)

少しでも思考を働かせようとするとすぐに強烈な餓えが彼を襲った。
感情が昂ぶり、逆に冷静な思考がどんどん失われた。

「たっ、たっ…たりりりりっりっりっっっあっ、あっっあっああっああああああああああああああああああああ!!!!!!」

シャッターを血の滲んだ拳で叩き壊し、人間の気配とかすかな血の匂いに転げまわる。

「人間どこ!? どこどこどこどこっこっっ殺ス、殺ス、喰う、喰う、
殺す殺す殺す殺す殺す殺す喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰うくくくくクククククククっっっ!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

消え去った右腕からは今もなお血が流れていた。
そしてその自らの血すらも彼の激昂を増徴させていた。

「ああああああああああああああああああああ!!!!!」

無茶苦茶に叫びながら彼は眼に見えるものを手当たり次第に破壊しまくった。
そうしないと自分を抑えきれない。
いや、もうすでに抑えるつもりは無いのだが、破壊衝動は尽きなかった。
最後に巨大な「ピーポくん」人形を一撃で粉砕すると、かすかに人の気配を感じる地下への階段を転がるように降りた。
何度か脚を踏み外しそうになりながら何とか階下に降りたが暗い留置所には誰もいなかった。
室内は廊下を挟み、いくつもの鉄格子の付いた小窓と分厚い鉄のドアで区切られている。
灯りは全く無く、全体的に圧迫した雰囲気だった。
ドアは当然、見渡す限り全てが閉じられている。
「どこ、どこ、どこどこ? 人間何処何処どこどこどどどどこここここここ?」
肩を大きく震わせ、息を喘がせながら彼は人間を探す。
呂律の回っていない口で言葉とも呻きとも取れない意味不明な声を発しながら。
気配はあるのだから、どこかにいるはずだ。
一つ一つ、ドアを破壊して調べようとしたが、その前に一番奥の扉だけが開いているのを見つける。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああ
いいいいいいいいいいいたああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
歓喜の絶叫を上げつつ、彼はその小さく開いたドアに突進し、ろくに中を確かめることなく飛び込んだ。
瞬間、ガンと激しい音が響き、背後のドアが勢いよく閉じられる。
ガチャリと鍵が閉る音も聞き取れた。
そして銃声。さっきと同じだ。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
やはり同じく扉の上のほうで金属が弾け、出入り口のそれよりはるかに分厚いシャッターが床に叩きつけられた。
「うわ嗚呼嗚呼アアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
自分がはめられたことに気付き、彼はメチャクチャな咆哮を上げると、膝を付いて冷たい床を何度も拳で叩きつけた。
「喰う喰う喰う喰う喰う喰うくくくくくくくくくくくくううううううううう!!!!
ああああああああいつらああ絶対絶対ぜーーーーーーーーーーーったいいい!!!!
喰う喰う喰うあああああああああああああああああいつら
くうくうううううううううオオオオオオオオレサマオマエマルカジリぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
悔しさのあまり血を撒き散らしながら転げまわる彼をよそに、
廊下を挟んで向かいの檻に隠れていた三人と一匹は駆け足だが、悠々と外に出た。

再び警察署の外に出た一行だったが、しばらく走ったところで克哉はふいに足を止めた。
「克哉、何をしている。一刻も早く逃げるぞ。」
先頭を駆けるゴウトがやきもきとした様子で克哉を怒鳴った。
「そうですわMr.Suo!」
「克哉さん…」
英理子もゴウトと同様に焦っている感じで、弓子も克哉の袖を引っ張った。
「僕は戻る。」
「な、何だと!? 正気か!
あの少年…いや、悪魔を説得するとでも言うのか! 馬鹿なことを!」
「僕も自分で馬鹿なことだと思うさ。
だけど僕は刑事だ。ペルソナ使いである前に警察官なんだ。
非行に走っている未成年の少年を放っておくことは出来ない。」
「お前はまだそんなことを言っているのか!
弓子を見ろ! あの悪魔は女でも手加減しない奴だぞ! 
それも満月で気が違っている! 話が通じるわけが無かろう!」
ゴウトは弓子に顔を向けた。
弓子の傷は既に塞がっているが、裂けられた袖は彼女の傷跡を露にし、またセーラー服も赤く汚れている。
「それでも僕は彼を見捨てることは出来ない!」
尚も非難の声を上げるゴウトを克哉は遮った。
「仮に彼が悪魔なのだとしても、人の心が少しでも残っているのなら。
説得は無駄では無いはずだ。
最初に会った時のように。」
「この…馬鹿者が。どこまで甘ければ気が済むんだ。この大馬鹿者。」
ゴウトは下を向き、もう一度小さく「馬鹿者」と吐き捨てた。
だが、ゴウト自身、そんな克哉の甘さを否定し切れないのも事実だ。
「俺も付いていく。」
ゴウトがぽそりと言ったセリフに克哉の表情が少し明るくなる。
だが女性二人の表情は曇っていた。
「克哉さん、ゴウト、いくら何でも危険よ。」
「そうですわ。あのdaemonには魔法も通じなかった。
先ほどのすさまじい戦闘音、まさか忘れたわけじゃありませんよね?」
二人が克哉とゴウトを必死に止める。
だが、止めた所で止まるような二人ではなかった。
似たような弟、もしくは相棒を持つ身として、あの悪魔を放っておけないのである。
「必ず戻ってくる。必ず。」
「克哉さん…」
弓子は克哉の袖を掴んだまま俯いた。
英理子も、ゴウトを抱き上げて瞳を潤ませた。
「絶対、帰ってきてくださいまし。信じていますわ。」
「ああ。行ってくる。」
ゴウトは英理子の腕から飛び降りると、先に警察署に向かって駆け出した。
「君達は今すぐここから逃げてくれ。そうだな。この近くで目立つ場所…。
青葉公園で落ち合おう。後で必ず行く。」
「絶対ですわよ……。」
英理子は言葉を詰まらせ、語尾が少し震えていた。
克哉はそんな彼女と、ようやく袖を離してくれた弓子に少しだけ視線を送った。
それから、やや遅れてゴウトの後を追って走り出した。

活きが良く、高質で大量のマガツヒを持った人間達は足音を聞く限りどこかえ逃げてしまったらしい。
だが、しばらくして戻ってきた者もいた。
耳をすまして足音を聞き分ける。
一つはすぐにわかった。猫だ。だがただの猫じゃない。
もう一つは、人間。男の足音だ。こいつもただの人間じゃない。
一体何しに戻ってきたのか。まさかわざわざ喰われに? 愚かなことを。
だが好都合。こちらはとにかく腹が減って仕方無いのだ。
猫の方はともかく大量のマガツヒと肉体を持つ人間が自分から近寄って来るのだから頂かないわけには行かない。
人修羅と呼ばれる少年は、破壊されたドアとシャッターを一度振り返った。
出入り口の時よりも少し梃子摺った。それだけ。
灯り一つ無い拘置所は真っ暗で、人間だったら少し動くだけでどこかにぶつかりそうだが、夜目の利く彼には関係無かった。
むしろ人目に付き難いという点では暗いほうがこちらはやりやすい。
彼は溢れ出る唾液を引き裂かれたような口元から垂れ流しながら戻ってきた気配を追う。
一度上に上がるかとも思ったが、どうやら二つの足音はさらに地下に降りたらしい。
微かにだが、会話が聞こえる。
残念ながら会話の内容までは聞き取れなかったが、下にいるのは間違いないようだ。

人修羅が下に向かう階段をゆっくりと踏みしめながら降りると、階下に広がっていたのは地下駐車場だった。
何台かのパトカーがまばらに並び、それとは別の乗用車も数台停まっている。
駐車場の天井には薄暗いがライトが点けられていた。
電力供給は止まっているはずだが、予備電源か何かだろうか。まぁ、どうでもいいけど。
とにかく腹が減る。
「ど、どこだあ…」
停まっているパトカーの横をすり抜けながら人修羅は呟いた。腹が鳴るのが止まらない。
「僕はここにいるぞ。」
背後から声が耳に入り、人修羅は振り返った。
スーツにサングラス姿の青年が立っていた。
その横に停まっている真新しいパトカーのボンネットに黒猫が乗っていた。
「克哉、説得は一度までだ。次は無いぞ。」
「ああ、解っている。」
青年は猫にむかって返事したが、そちらを見ることは無く人修羅に一歩近づいた。
人修羅は身構える。
本当はすぐに喰らい付きたいところだったが、青年の気迫がそうさせなかった。
それは人修羅に人間の心が残っているかとか、彼らのことを少しでも覚えているかとかではない。
単純に防衛本能からであった。
目の前彼は死を覚悟している。死んでまで何をするというのか。
仲間を攻撃されたからか。命を賭してカウンターパンチを食らわすためか。
だが、人修羅のリーチ圏内まで近づいて足を止めた彼からは思いもよらない言葉が飛び出した。

「君は、本当に悪魔なのか?」
彼は一体何を言っているのだろう。
そんなこと見て解らないのか。
この身体に浮き出た幾何学模様。真っ赤に焼け爛れたような瞳。剥き出しの牙。
腕一本もぎ取られて血を流しながらも簡単に動き回っている耐久性。
どう考えても人外魔境そのものだ。
「さっき君に会った時は、今のように攻撃的では無かったのだが。
悪魔の性格が月に影響されるというのなら、君は本当に悪魔なんだな。」
寂しそうに笑い、また一歩近寄ってきたので人修羅は反射的に手刀を繰り出した。
「ぐっ!」
顔を狙ったが、紙一重で避けられたらしい。だが、代わりに左肩を抉った。
血が吹き出し、ダークグレーのスーツの上着を赤黒く染め上げる。
「克哉!」
猫が吼えた。彼も今にでも飛び出してきそうだ。
「ゴウト! もう少しだ、もう少しだけ待ってくれ!」
青年は猫を制止すると、抉られた肩を押さえながらまた一歩近づいてきた。もう至近距離だ。
すぐにでもその顔面をミンチにすることだって可能な距離だが青年は止まらない。
「ふ、僕の弟も普段大人しい割に一度怒ると手が付けられないほど暴れるが、君も容赦無いな。血が止まらない。
ところで君のその腕は手当てをしなくてもいいのか?
まったく無茶をする。
そう言えば、あいつは一度刃物の刃の部分を力いっぱい握ったことがあってな。
それは胆を冷やしたものさ。」
どうしてコノ人はこの期に及んで弟の話ばかりするのだろう。
そんなに弟のことが心配ならば、今すぐそっちに行けばいいのに。
……と、何で自分がそんなことを考えるのか。
目の前にいるのは良質のマガツヒで、良質の蛋白源だ。ただ、それだけなのに。
「思えばあいつとは、本気で喧嘩をしたことが無いな。
僕はあいつに少し嫌われているようで、喧嘩にもならないんだよ。
あいつは何も話してくれないし、僕の話も聞いてくれない。それは寂しいものだ。」
「……」
「あいつが本当はどう思ってるのか確かめることは出来ないのだが、僕はあいつに言いたいことが山ほどある。
あいつは家にも帰ってきていないようだからな。
どこに泊まっているのか、食事はしているのか、ちゃんと学校には行っているのか、
悪い人間に眼を付けられていないか、心配だよ。
君にも、家族はいるんだろう?
君が人間であろうと、悪魔であろうとそれには変わりないはずだ。」
家族? 心配? 一体何のことなのだろう。意味が解らない。解らない。
「かか家族…し、しらない。」
「…………。
そうか。悪いことを聞いてしまったな。だが、家族でなくとも君を心配している人は必ずいる。解るか?」
「???」
「例えば僕だ。」
「???」
「僕は君のことがすごく心配だ。
君は僕の弟によく似ているんだ。
頭がいいように見えて何を考えているか解らないところとか。
いつもフラフラしてて捕まらないところとか。
そのくせ一度思い込むとなかなか考えを曲げないんだ。
だから間違った方向に進んでしまったらどうしようかといつも心配している。
君と僕の弟は、本当によく似ているからな。どうしても、君のことも心配になるんだ。」
臆面も無く語ってくる言葉を、何故かもうこれ以上聞いていたくは無かった。
だから、黙らせようと拳を振るった。

「克哉!」
拳を腹に撃ち込まれた青年が弾き飛ばされ、猫が飛び出してきたからそれも軽く振り払う。
猫は一瞬動かなくなったが、すぐに何も無かったかのように起き上がった。少し手加減し過ぎたか。
「僕は大丈夫だ。防弾チョッキが役に立ったようだな。」
ふらりと青年が立ち上がる。口からは血反吐を滴らせている。
立ち上がった体勢は、胴体を庇うように背中を丸めている。あばらが何本かいってしまったか。
口とは裏腹に、どう見ても大丈夫ではないようだが…。
「克哉、これ以上は無理だ! お前殺されるぞ!」
猫の言葉は彼には届いていないらしい。彼はなおも人修羅に近寄ってきて何事かを口走る。
「僕は思う。
君と、僕の弟が友達だったとしたら……どんなだろう。」
「克哉!」
人修羅は猫の声ではっと我に返った。
もうこれ以上聞いていられない。聞いていたら、何か自分にとって何かよくないことが起こる。
そう思って再び攻撃を繰り出した。
鋭い右ストレートが、今度こそこの青年の顔面を粉々にするヴィジョンが明確に頭に浮かんだ。
だが。
「ペルソナ!」
直前で青年が叫び、真っ黒な猫の顔を持った人影が浮かび上がり、代わって拳を受け止めた。
「僕の言葉は通じないのか。」
「ううううううううううううううううううう……」
ペルソナ。どこかで聞いたような言葉だ。どこで聞いたのか思い出せないが。
そのペルソナとやらは両手で拳を掴んで離さない。人修羅はさらに拳を深く埋めた。
「何て力だ。本気で僕を殺すつもりなのか……。」
「克哉! 何をしている! 説得はもう終わりだ!」
「だが僕も死ぬわけには行かない。人を待たせているんだ。
命に代えても僕はここで君を止めるぞ。」
言っていることがメチャクチャだということをこの人は自覚しているのだろうか。
そう言いたい気もしたが、一気に溢れた闘争本能によって言葉は掻き消された。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
掴まれた拳を激しく振り回し、ペルソナ・ヘリオスを薙ぎ払う。
それが消滅したところで青年に視線を戻す。
青年はいつの間にか構えていた銃の引き金を引いた。
がん、とすさまじい銃声と共に額に鈍い痛みが走った。衝撃で思わず尻餅を着いてしまう。
立ち上がった時には既に青年の姿は無く、代わりに真正面に停めてあったパトカーのエンジンが激しく唸りを上げていた。
そうか。説得に失敗したら、殺す気だったんだな。
だったらどうだと言うんだ、その車ごと破壊するまで!
拳を構えて立ちはだかる人修羅に向かって一気に加速するパトカーはぶつかる直前で勢いよくスピンする。
タイヤとアスファルトが擦れる耳障りな音に顔をしかめている一瞬、ドアが開き、青年と猫が飛び出すのが見えた。
だが加速の止まらないパトカーはドアを開いたまま、人修羅に激突する。
パトカーのボディに弾き飛ばされた人修羅は壁に叩きつけられ、そのまま押しつぶされる。
激しい圧迫感と熱に襲われ、気が遠くなった。
人修羅の意識が飛びそうになったところで、地を揺さぶるような爆音が響いた。
パトカーが炎上し、それを皮切りに次々と他の車体に引火。辺りは炎に包まれ真っ赤に染まった。

そこから少し離れた所で頭を防御して蹲っていた克哉は立ち上がった。
その横にはゴウトも佇んでいる。
「……本当にこうするしか道は無かったのか…。」
叩きつけるような熱風を受け、人修羅が埋まっている炎と鉄の固まりを見ながら克哉は苦しそうに呟いた。
「僕は、彼を殺した。」
肩口を破られ、あばらも何本かいかれている。
だが、本当に苦しいのはそんなことでは無かった。
「気を落とすな克哉。お前は出来ることを全てやった。その結果がこれなのだから仕方が無い。」
「ゴウト…。」
「青葉公園に行こう。英理子と弓子が待っている。」
「そうだな。落ち込むのはそれからでも遅くは無い、か。」
彼らは階段に向かって歩き出す。
ここを出て、扉を閉じるとじきに酸素が燃え尽き、炎は鎮火するだろう。
その時には既にあの少年の身体は骨一つ残さず炭化しているに違い無い。
克哉もゴウトもそう思っていた。
だが、克哉が階段のドアを開いた時、あってはならない気配を感じ、足を止めた。
炎の轟音に混ざって鉄の塊がアスファルトに投げ出される音が響き、炎の中から人影が立ち上がった。
「まさか」
息を呑み、意を決して振り返る。
「ううううううう…」
「そんな、馬鹿な…。」
それから克哉は無我夢中で銃、警察署支給のニューナンブM60を乱射する。
だが既に三発ほど使っているため、シリンダーには残り二発しかない。
いくら引き金を引いてもそれ以上発砲されることは無かった。
辛うじて撃てた内の一発はどこに飛んだのか解らない。だが一発は人修羅の顔面に当たった。
身に浴びた血が焦げて黒ずんでいる人修羅は、銃弾を受け、仰け反っている。
この時克哉にもう少し冷静な判断能力が残っていれば、一目散に逃げ出していたことだろう。
だが彼は銃を構えたまま眼を見開いて立ちすくんでいた。
その体勢のまま、少年がぐるんと仰け反った上半身を起こすところをただ呆然と眺めていることしか出来なかった。
「ぐううううううう」
腹から低い呻き声を発する人修羅が噛み締めた歯の間に弾丸はあった。
人修羅が悪魔の強靭な歯で弾丸を受け止めていたのである。
弾丸を咥えたままアスファルトの床を蹴って人修羅が跳躍する。

目の前が真っ赤に染まり、そこで克哉の記憶は途切れた。

克哉が最後に開けてくれたドアからすり抜けたゴウトは走っていた。
英理子と弓子が待っているはずの青葉公園に向かって。
克哉とは、おそらくもう二度と会うことは無いだろう。
どうすることも出来なかった。
自分は戦闘力の無い猫の身だ。彼を助けるためにあの悪魔と戦うことなんて出来ないのだ。
悔しい、そして悲しい。
だからこそ、彼の死を無駄にすることは出来ない。
早く英理子と弓子と合流し、出来るだけ遠くに逃げる。逃げて、戦力を蓄える。
それから、さらに信頼できる仲間を増やさなければならない。
そうしないとこれから先、生き延びることなど出来ないからだ。
(ライドウ、あいつは今どこにいるんだ……!)
今思い出せる信頼できる仲間は、彼と、鳴海、タヱ、大道寺伽耶。
とにかく信頼出来る仲間を集め、早くこの地獄から脱出しなければ――。

酸素が殆ど燃え尽くされ呼吸することすら困難な地下駐車場で、人修羅は周防克哉の肉体を貪っていた。
大の字に寝転んだ死体の纏ったスーツと赤いシャツを切り裂き、ハラワタを引きずり出す。
這い蹲って齧り付くと口の周りだけではなく、全身に血を浴びるが気にすることは無い。
芳醇な血の匂いと、暖かなマガツヒが乾いた喉に流れ込んでくる。至福の時であった。
特に柔らかな内臓は、鮮度が高いことも相まって、ことさら美味である。
これが人間の味。
悪魔よりやや脂が乗っている。
彼が人間だった頃に食べたことがある食べ物で例えるなら極上のトロの味に似ていると思った。
ひとしきり臓物を味わった人修羅は身体を起こした。
別に喰うのをやめたのではない。
生き物の部位の中でも最も美味とされる脳を味わおうと思い、頭を持ち上げるために首を取り外そうと思っただけだ。
鋭い手刀で首の頚椎を切り離し、引きつったままの表情を残した頭を両手で持ち上げた。
人修羅は興奮から肩で息をしていたが、ぴたりと動きを止めた。
克哉のサングラスがずり落ち、ぼんやりと開いた眼孔と、自分の視線がかち合った。
「あ、あ…あ…」
何故かその時頭の中に克哉の言葉がフラッシュバックする。

『その腕は手当てをしなくてもいいのか?』
『君を心配している人は必ずいる。』
『僕は君のことがすごく心配だ。』
『君と弟が友達だったら……どんなだろう。』

この人は、光だ。
自分が悪魔で、闇を象徴しているのだとしたら、この人は紛れも無く光だ。
いつかこの人は出来るだけ多くの人を救いたいと言っていたような気がする。
警察官である彼は、何の力も無い人々にとって希望の光なのだ。

僕は、希望の光を喰った。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

わずかに残った人の心が叫びだす反面、頭の中では自分であって自分ではない何かがこうも怒鳴りつける。

モット喰エ、喰ライツクセ。オ前ハ悪魔ダ。躊躇ウナ!!

人の心と悪魔の本能のはざまで混乱した人修羅は、おぼろげな表情の首を落とした。
そしてその場で今食べたものを全て吐き戻した。



【時間:午前11時半】
【人修羅(主人公)(真・女神転生V-nocturne-)】
状態 左肩から下を欠損し出血中  
    受けたダメージと消耗により既にまともにスキルを使用することは不可能  
    悪魔化 殺戮衝動 
体中に悪魔の体液を浴びており強烈な異臭がする
フルムーンの影響を受けている。
PANIC状態
武器 素手
所持品 無し(所持していたものは先の戦闘の巻き添えで塵に)
仲魔 無し
行動指針 本能の赴くままに殺戮だが…?
現在位置 スマル警察署地下駐車場
備考 左腕からは血が流れていますが、悪魔である彼が出血死するかは不明です。

【桐島英理子(女神異聞録ペルソナ)】
状態 疲労
降魔ペルソナ ニケー
所持品 ニューナンブM60 防弾チョッキ
行動方針 周防克哉、ゴウトドウジ、その他仲間との合流 ゲームからの脱出
現在地 港南区

【白鷺弓子(旧女神転生1)】
状態 腕に傷を受けたがほぼ回復
仲魔 無し
所持品 アームターミナル MAG2000 ニューナンブM60 防弾チョッキ
行動方針 周防克哉、ゴウトドウジと合流 中島朱実との合流 ゲームからの脱出

【周防克哉(ペルソナ2)】
状態 死亡
降魔ペルソナ ヘリオス
所持品 拳銃
    防弾チョッキ
    鎮静剤
現在位置 スマル警察署地下駐車場

***** 女神転生バトルロワイアル *****
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