女神転生バトルロワイアルまとめ
第109話 メサイア・コンプレックス

「――オイ。起きロ」
獣型の悪魔特有のくぐもった声が、俺を眠りから連れ戻した。
呼ばれてから覚醒するまでに時間はかからなかった。すぐにでも起きなければいけない事は忘れていない。
肉体は疲れ切っている。どれだけ眠ったのかはわからないが、そう長い時間ではないだろう。
外はまだ日が高い。起こされなければ、日が傾く頃まで目覚めなかったろうが。
「……反応があったか」
あちこちが軋む体を起こして、目を開けた。
薄暗いゲームセンターの中にいるのが幸いし、目が慣れるのも早い。
万全とは言えないコンディションだが、動けない事はない。まだ多少なら無理がきく。
シートから身を起こした俺の目の前に、オルトロスが口に咥えた刻印探知機を突き付けた。
「何者かガ近付いてル。一人ダガ……ドウする」
「速度はどうだ」
「遅クハない。大シた傷ハ負ッテないナ」
小さく舌打ちをする。多少は動けると言っても、まともに戦える自信はあまりなかった。
素人ならともかく、戦闘の心得のある好戦的な相手と出会えば無事では済まないだろう。
「消耗は避けたいな。このままやり過ごす」
レーダーの画面には俺の存在を示す動かない光点が一つと、それに近付いてくる光点が一つ。
その接近を意識して、声を落として話す。
「オレは戦えルゾ」
不満げにオルトロスが唸る。戦いの指示を待ち侘びていたらしい。だが、俺は頭を振った。
「止めておけ。お前の手に余る相手でないとも限らない」
「……ワカッタ」
オルトロスはまた苦々しげな唸り声を上げた。血気盛んではあるが、命令には従ってくれるのが有難い。
契約者には忠実な悪魔は、この街で戦いを望む者にとっては最良のパートナーとなるだろう。
命令に背く事も、裏切る事もない。そして何より、互いを殺す必要がない。
人間同士であれば、いつかは直面しなければならない問題――どちらかが死ぬ必要がある、という事。
それを考えずに済むから、悪魔との同盟は絶対的に信頼できるのだ。

俺は再びシートに体を埋め、オルトロスから受け取ったレーダーを眺めた。
光点は南西方向から近付いてくる。最初は画面の端に見えていたその存在の印が、中央に近くなる。
やがて画面中央の俺の光点と、接近する光点の距離は――ほとんどゼロになる。
小さな光と光が触れ合うのを見詰めて、俺は思わず息を呑む。
画面上の表示がここまで近付いているという事は、実際の距離もすぐ近くのはずだ。
下手に物音を立てたら見付かりそうな気がして、緊張が高まる。
呼吸音にさえも神経質になり、息を殺して相手が遠ざかるのを待っていた、その時。
ドアが軋む音と共に、ゲームセンターに外の光が差し込んだ。

「誰かいるのか」
男の声がした。俺はシートの中で身を硬くする。
この馬鹿でかい筐体のお陰で今は姿を捉えられてはいないが、近付かれたら見付かる。
このままだんまりを決め込んで、誰もいないと思わせるのは難しかった。
無数の悪魔を狩り、ヒロコという名のゾンビと死闘を繰り広げたこの場所には、濃密な血の匂いが漂っている。
少なくとも誰かがここにいて、戦った。闖入者もそれはとっくに理解しているだろう。
そして、その男は中に向かって呼び掛けた。この場の様子を探る気が少なからずあるという事だ。
その声に誰も応えなければ、男はここで起こった戦いの跡から何かを掴もうと立ち入ってくるに違いなかった。
物陰に伏せていたオルトロスに目で合図する。その意味するところを魔獣は聡く察して、ゆらりと身を起こした。
「……何カ用か、人間」
「へえ。オルトロスか。こんな所にも悪魔がいたんだ」
姿を現したオルトロスに、男は怯む様子もない声で応える。
素人ではない。悪魔を見慣れていて、オルトロスの相手もできる自信を持った男だ。
厄介な相手と遭遇してしまったものだ。オルトロスが上手く交渉を進めてくれる事に期待するしかない。
所詮は獣、それも力では負けるはずのない魔女に捕まっていたような奴だ、過大な期待はできないが。
男の前に姿を現さなくてはいけない状況になったらどう動くか。不意は打てるか。
動かないまま、俺は策を考え始める。
「ココは悪魔ノ棲家だ。見レバわかるダロウがナ」
「ふぅん……」
少しの間。男はここの光景を見回しているのだろうか。血と灰と、機械の残骸が散らばる光景を。
「でもさ、ただの悪魔って銃は使わないだろ?」
男の言葉が短い沈黙を破る。試すような口調。ここに悪魔しかいないとは恐らく思っていないのだ。
「薬莢が落ちてる。結構な数だね。ピストルじゃないな……マシンガンかな」
「人ヲ探しテルのカ?」
指摘には何も応えず、オルトロスが問う。獣にしては上出来な判断だ。
「人も探してる。でも、それだけじゃない」
一呼吸置いて、男は続けた。
「ただの悪魔なら銃は使わない。でも俺、銃を使う悪魔も見た事があってね。――例えば、ゾンビとか」
俺はぎょっとして再び息を呑む。
まるで鎌をかけているような口振りだ。こいつは、ヒロコがここに来た事を知っているのか?
レーダーの効果範囲の外から、つい今しがた近付いてきたばかりの奴が?
「ゾンビを探シに来たッテ訳カ? ワザワザ、こンナ所に」
「外からでもわかるような血の匂いがしたら、そうじゃなくても気になるさ。
……それに、正確には違うな。ゾンビにはできれば会いたくない。銃を持ってるようなのには特にね」
先程から、この男の言葉には妙な含みがある。何が言いたいのか読めない。
オルトロスもそれは同じらしく、男のペースに押されて聞き役に回っている。
余計な事を喋られても困るし、情報を引き出せるのだから好都合と言えば好都合だが。
「オマエも銃ヲ持っテルのに、カ?」
「そりゃあね。俺は撃たれたら死ぬけどゾンビは死なないじゃん? イーヴンとはいかないよ」
オルトロスはどうやら、男が銃を持っているのを俺に教えようとしてくれたようだ。意外な機転に感謝する。
このシート越しならいきなり撃たれても当たる事はないが、射線が通る位置に出てしまうのは危険だ。
「で、さ」
核心に触れない問答のまだるっこしさに飽きたのか、とうとう男が切り出した。
「ここにいたんなら知ってるだろ? ここでマシンガンをぶっ放したのは……どんな奴だったか」

ここでオルトロスが返答を誤れば、俺の存在を男に気付かれ兼ねない。
物音を立てないように姿勢を変える。いつでも飛び出せるように、汗ばむ手で刀をしっかりと握った。
「オマエの言っタ通り、ゾンビ……ダ」
「どんな奴?――こんな印は、付いてた?」
自らにも刻まれた、呪いの刻印を示しているのだろう。
間違いなくこの男は、自分達と同じ立場の人間がゾンビと化したという可能性を認識している。
今までの言葉から考えれば、ゾンビとは敵対する立場。
声の若さから言っても、軽い口調から言っても、ヒロコが口にした『神父』というのはこいつではなさそうだ。
ならば、その神父とやらと敵対する存在なのか?
だとしたら――いや。
一瞬浮かんだ思考を、俺はすぐに頭の片隅へ追い遣った。
どうかしている。仲間になれるかも知れない、などと。人間同士である限り、最後は殺し合うしかないのに。
「印は付いてタ。金髪の女ダ」
「……やっぱり」
男の声の調子が変わった。今までの試すような余裕のある声から、どこか強張った声に。
「彼女はどこに行った? いや……彼女は、『誰に向かって』撃ったんだ」
「誰でも良かッタんジャないのカ。血に飢えてタようだっタしナ」
「だったらどうして、お前がここにいる?」
はっきりと、男の声は強い感情を帯びていた。
「血に飢えたゾンビだろ。獲物が残ってたら放っとくはずがない。なのにお前が生きてるって事は」
「どう思ウ」
「――お前が!」
最早叫びに近い声だった。始める気かと身構えかける。
この男は、ヒロコを知っている。
彼女の辿った運命も――このゲームセンターに辿り着く前の段階までは――知っていて、その事に何らかの感情を抱いている。
そして今、悟ってしまったのだ。彼女はもうどこにもいないという事を。
理性を失ったゾンビが悪魔に挑み、返り討ちにされたとしても悪魔に咎はない。
しかし誰もがそう割り切れるほど冷静な訳ではない。遣り場のない憤りの矛先がオルトロスに向くのも無理はなかった。
衝突は避けられないかと覚悟を決める――が。

「……お前が、終わらせてくれたんだ? ヒロコさんが、もう、誰も殺さなくてもいいように……」
男の声は、涙声になっていた。

沈黙が流れた。男も、俺も、オルトロスも何も言わない。
俺は飛び出しかけた体を再びシートに預け、深く息を吐いた。
男が思ったよりも冷静であった事への安堵。それは決して、苦戦必至の相手だからというだけでなく。
この男に、俺は多少の同情と共感を覚えていた。
恐らくこいつにとって、ヒロコはごく親しい、大事な人間だったのだろう。
良く知っている人間がゾンビになるという衝撃は俺にもわかる。まさに同じ経験をしたのだから。
もしあの時、彼女が――俺の大切なヒロコが、ここで出会ったヒロコと同じ目に遭っていたら俺はどうしていたか。
この男のように、一瞬の激情を押さえ込み、全てを終わらせた者に感謝する事はできただろうか?
そう思うと、敬意に近い思いすら湧き上がる。
「ヒロコさん、何か言ってなかった?」
沈黙を破ったのは男だった。さすがに泣き出すのは堪えたらしく、声には幾分落ち着きが戻っている。
「何かッて、何ダ」
「何でもいいよ。手掛かりになんてならなくても。覚えときたいんだ」
「手掛かりなら……ある」
男がはっと息を呑むのが聞こえた。シートから身を起こしながら、俺は続ける。
「神父様、だとさ。あの女を、あんな風にした奴は」
「……神父」
「俺はそいつが気に食わない。あんたの立場や目的は知らないが、その点は同じだろ?」
この男がこちらに撃ってくる事はないと、俺は既に確信していた。
もう隠れる必要はない。俺は筐体のシートを離れ、男の前に立つ。
「同じだね。……人間も、いたんだ」
「悪いな。この格好じゃ怪しまれると思って黙ってた」
ただでさえ俺の鎧は見た目が邪悪だし、返り血もたっぷり浴びている。この言い訳は説得力十分だろう。
もっとも、目の前の男も普通の格好ではない。
明らかに防御効果を期待して作られただろうボディスーツ。腰のホルスターには銃が収まっている。
血の汚れも下手をすると俺より酷いほどだ。少なくとも、平和主義者には見えない。
長髪で一見優男だが、瞳の奥には鋭い光が宿っている。
ただ立っているだけなのに隙がないところを見ると、実力もかなりのものだ。
細身のように見えるが、ボディスーツの下の肉体は外から見るよりも相当鍛えられているだろう。
「随分戦ったみたいだね」
「お互いにな。俺が相手したのは悪魔だが」
「俺が斬ったのは……死体だよ」
自嘲的な笑みを浮かべ合う。殺し合いのゲームの最中だ、素直には信用されない事は互いに承知している。
現に、俺の言葉は真っ赤な嘘だ。殺したのも、傷付けたのも、悪魔だけではない。

「詳しく聞かせてほしいな。神父、って……ヒロコさんが言ってた?」
作り物の笑みが、男の顔から消えた。
「ああ。最後に少しだけ正気に戻ってな。そいつが、皆殺しにしろって言ってたそうだ」
思い出すだけでも怒りが込み上げる。皆殺しを考えているのは俺自身も同じはずなのに、我ながら勝手なものだ。
「そっか。正気に戻れたんだ。なら良かったのかな」
「いいもんか」
そんな事は何の慰めにもならない。少しでも救いがあったと思いたいのはわからなくもないが、それは欺瞞だ。
「……やっぱ、良くないか」
男が溜息をつく。オルトロスと話していた時の曲者ぶりはどこへやら、感情を隠す素振りもない。
変な男だ。扱いづらいタイプである事には変わりない。
「心当たり、ある? その、神父って奴に」
「ないな。しかし神父なんて、ここに集められた中に何人もいるとも思えん……
元々知り合いだったんじゃなければ、そいつは一目見てわかるような神父の格好をしてるって事になる」
学校の教室だという部屋に集められた時に見た、他の連中の服装を思い出す。
俺や目の前の男のような格好は異端と言えた。ほとんどは防具でも何でもない、ただの服を着ていたのだ。
鎧ほどではないが、神父服もかなり目立つだろう。
「知り合い、か……」
男が表情を翳らせ、少し首を傾げる。
「そういえば俺、ヒロコさんの知り合いなんてほとんど知らないな」
先程見せた激情からは親しい間柄を想像したが、この男とヒロコはそれほど知った仲ではなかったのかも知れない。
あるいは、これからもっと互いの事を知ってゆくはずの二人だったのか。
「神父の知り合いはいそうか?」
深くは聞かない事にして、必要な情報だけを問う。
「いるかもね。ああ見えて信心深いみたいだから、ヒロコさん。何たってテンプルナイトだしね、メシア教徒の鑑だよ」
「……メシア教徒?」
妙な気分だった。今までこの男やあのヒロコの事は、全く違う世界の人間のように思っていた。
実際に異世界、あるいは違う時代の人間なのだろう。
メシア教は俺もよく知っているが、テンプルナイトというのは聞いた事がない。
その世界のメシア教と俺の知るメシア教が同じものかどうかは定かでないし、どうでもいい事だ。
今ここでこいつと宗教談義を始める気はない。
しかしメシアの名を冠するからには、それを信仰していたというヒロコもまた救世主を待ち望む一人だったのか。
嫌な後味だ。今更後悔はしないし揺れもしないが、ただ、嫌な気分だった。
「メシアは彼女を救いはしなかった、か」
吐き捨てるように呟く。その時、男が表情に浮かべる翳りが濃くなったのは気のせいだっただろうか。

「探すつもりか。その神父を」
聞くまでもなかったが、男の意思を確かめるように問う。
「当然。ただ、他にも探さなきゃいけない奴がいるから……まずはそっちが先決、かな」
男の目が鋭くなる。戦うべき相手を見出し、それに思いを馳せる目だ。
そういえば、こいつは元々ヒロコを探しにここへ来た訳ではないのだ。
「敵がいるのか?」
「悪魔みたいな女がいてね。見てないかい? 手が凄い形になってる奴」
俺は首を横に振る。心当たりはない。
凄い形と言われても想像できないが、人間の形をしていない奴なら一目見れば忘れるはずもない。
「そいつは蓮華台の方に飛んで行ったんだ。追うつもりが、道がわかんなくてさ」
「……まさか、ここに来たのは道に迷った結果か」
「どっちが真っ直ぐ東か、途中でわかんなくなって」
空いた口が塞がらないとはこの事だ。なんて間抜けだ。
銃以外に何も持っていないところを見ると、地図を含めて荷物はどこかで失ったようだが。
「とにかく大通りを東に行こうと思ってね。そしたら、途中で血の匂いがしたって訳だ」
「とんだ幸運だな……」
神様のお導きとやらが本当にあるのなら、こういう事を言うのかも知れない。
運命に感謝すべきか、この男の間抜けっぷりに感謝すべきか、それとも単に呆れるべきところか。
「貴重な情報、ありがとう。君も――俺と目的は近いようだけど、良かったら」
男は真正面から俺を見据える。真剣な眼差し。
こいつは俺を信頼した。確かに、良き『仲間』にはなれるかも知れない。神父を倒すまでの間は。
「一緒に戦おう、ってか? 俺としても神父は放っておきたくないが、今は……」
「あ……いや、その」
男は困ったような顔をする。何が言いたいのか測り兼ね、俺は言葉を止めた。
「勿論、一緒に戦えるなら嬉しいけどさ。今すぐってつもりはない。君のダメージが大きいのは見ればわかるし」
あまり悟られないようには気を付けていたつもりだが、俺の消耗は見抜かれていたらしい。無言で肩を竦める。
「俺は急がなきゃいけないんだ。あの女のダメージが回復する前に、仕留めなきゃいけない。
神父を探すのはその後かな。決着が付いたら、またここに来る。……だから」
「……頼みは何だ?」
言い難そうにしている男に、先を促した。
「その。……悪いんだけどさ、地図貸してくれないかな」

「意外にオ人好シだナ。オマエも」
再び体感ゲーム機のシートに沈み込んだ俺に、揶揄する口調でオルトロスが言う。
犬の表情など読めるはずもないが、笑っているのだろう。
「別にそんな訳じゃない。あいつがお人好しに見えたからだ」
面白くなくて、顔を背けた。
「ソのまま地図を持チ逃ゲされタラどうスル。オマエが不利にナルぞ」
「断って折角の信頼を損なう方が痛手だ。手駒にできる奴は確保した方がいいだろう」
「逆ニ手駒にされるナよ?」
オルトロスが含み笑いのように小さく唸る。――面白くない。
そのまま無言でシートに身を預けている内に、ゲームセンターのドアが開く。
「ただいまー。ありがと、コピー取ってきたよ」
二枚の地図を手にした男が、それをひらひらと振りながら入ってきた。
オルトロスの疑いは杞憂だった。こいつは律儀に戻ってきたのだ。

一枚しかない地図を預けてしまっては、俺にそれが必要になった時に困る可能性がある。
この男が追っているという悪魔のような女に負け、ここに戻ってくる前に朽ち果てる事も考えられる。
それに、俺がこの場に留まる事ができなくなる可能性もある。
今はオルトロスが睨みを利かせているだけで下級の悪魔は寄って来ないが、放送ごとに悪魔は強くなるのだ。
次の放送が流れれば、ここにもオルトロス以上の力を持つ悪魔が現れないとも限らない。
それで俺の出した結論は、男に地図のコピーを取って来させるというものだった。
この世界は俺から見れば過去のようだが、コピー機程度はあるだろう。
人の出入りの多そうな区域だから、探すのにも時間は掛かるまい。
そして、この簡単な依頼は男を試すのにも丁度良かった。
この男が本当に俺と協力する気なら、必ず地図を持って戻ってくるはずだ。
もし持ち逃げされたとしたら、休息を取った後にでもあのマンションの屋上――最初に女を殺した場所へ行けばいい。
屋上には殺した女のザックが手付かずで残っているはずだ。誰かに持ち去られていなければ、だが。
最初から持ってきていれば良かったものを、あの時の俺は愚かにも動揺し、見過ごしていたのだ。
だが、今の俺は違う。

「気を付けろよ。どれだけ人殺しがいるかわからないんだからな」
預けた地図を受け取りながら、俺は『仲間』の顔をして言う。
「わかってる。……ありがとう。君みたいな人に会えて良かった。もう、ずっと独りで戦うのかなって思ってたから」
男は寂しげな笑みを浮かべた。馬鹿な奴だ。初対面の相手を信用して、こんな弱気な顔まで見せて。
「知り合いはいないのか? まだ生き残ってる中に」
「……いるけど、顔向けできない。俺、人を殺そうとしてるし」
「何だ、それ」
理解不能だった。無差別に殺そうというのならともかく、危険な相手を殺すのは当然ではないか。
それだけで顔向けできないと思う必要などあるのか?

男は自嘲的な苦い微笑を浮かべ、少し遠くを見る目をする。
腹の探り合いをしていた時の鋭い視線とはまるで別人のもののように思える。やはり、どこか掴み所のない男だ。
「ザインは……ああ、そいつの名前なんだけど。殺したら、同じ所に堕ちるって言うんだ」
「同じ所?」
「うん。相手から襲ってきたからって殺したら、結局殺し合いに加わってる事に変わりはないって。
それじゃ俺達を殺し合わせようとしてる奴の思う壺だから、って」
呆れた理屈だ。そんな理想論を語って、この状況の何が変わるというのか。
大体、全員がそんな事を言って誰も殺さなかったら、全員一緒に死ぬ事になるだけだ。
「偽善だな」
「そんなんじゃないよ」
吐き捨てた言葉に、意外にも男は反論した。
「そんな甘い考えじゃ駄目だとは思う。手当たり次第に人を殺そうとしてるような奴は、生かしておけないってね。
でも偽善とは違う。あいつは多分……殺し合いを始めた奴の思惑に乗るよりは、死んだ方がいいって思ってる」
「馬鹿な。そいつは死ぬ気かも知れないが、死にたくない奴も死ぬべきだってのか」
「そう思わないから、俺は戦うんだ」
俯き加減だった男が顔を挙げ、俺を見た。
その目にはまた、決意の光が宿っている。
「死んでほしくないからさ。死にたくないって思ってる人達にも、ザインにも。
誰かが手を汚さなきゃいけないなら、俺がやろうって決めたんだ」
「……馬鹿だな。お前も」
「まあね」
男は笑った。その笑みに自嘲の色はあるが、迷いはない。
「でも、俺は会えないけど……あいつ、怪我してるから。多分、助けが必要なんだ」
死ぬつもりの奴など、放っておいて死なせてやればいいものを。
そう言ってやりたくなるが、口には出さない。こいつは反論してくるに決まっている。
「もし……もしだよ、俺がここに戻って来なくて、君がここを出て、ザインに会ったら」
「俺の代わりに助けてやってくれ、とでも言うつもりか」
「うん、まあ、そういう事」
歯切れが悪い。偽善だと一度否定されている手前、俺には頼み難いという思いがあるのだろう。
しかし、こいつには他にそんな頼みをできる相手もいないのだ。
――ある意味、理想的だ。ただの『仲間』でなく『唯一の仲間』だというのは。
「絶対に助けると保証はできないぞ。俺だって自分の身を守るのが第一だ」
「無理にとは言わないよ。君にも無事でいてほしいしね」
全く、お人好しにも程がある。
ふと、かつて友と呼んでいた男を思い出す。初対面の魔女をあっさり信じてたぶらかされた馬鹿な男を。
こいつも似たようなものだ。会ったばかりの俺をここまで信頼するとは。

「あんたも無事で戻ってきてくれるなら、それが一番なんだがな。……そいつの特徴は聞いておこうか」
苦い追憶を振り払い言うと、男の表情に安堵が浮かぶ。
相変わらず、この男の印象は一定しない。
感情がわかりやすく顔に出たり、かと思うと真意を見せず駆け引きをしてみたり。不安定と言うべきか。
とは言っても、極限の状況で揺れているという風には見えない。
心の弱さや不安ゆえに壊れた結果の不安定さでなく、元からそうであったかのような。
「見たらすぐにわかるよ。凄い筋肉で、包帯ぐるぐる巻いてて、髪型がパイナップル」
「……何だそれは」
一瞬絶句したのは、その珍妙な表現のせいだけではない。
確かに、見たらわかる。何も知らない奴が聞いたら意味不明な表現だろうが、実に端的だ。
それが誰の事を指しているのか、俺ははっきりと理解した。その男とは既に会っている。
神様のお導きとやらのが本当にあるのなら、恐らくこういう事を言うのだ。
先程は感謝した運命に、今は呪詛を投げ付けたい気分だ。
完全に信用させ、手駒にできるはずの男の知り合いが――事もあろうに、俺が殺しかけた男だったとは。
「うーん。説明が難しいんだけど、見たら絶対わかるって。目立つから」
「まあ確かに目立つだろうな。全身に包帯を巻いた男なんて、神父の格好よりよっぽど珍しい」
「……うん。そうだろ?」
苦笑のような表情を、男は浮かべた。
ホルスターの銃に手を掛け、くるりと俺に背を向ける。
「会ったら、伝えてよ。アレフが謝ってたって。……じゃ、俺はもう行くね」
「ああ。気を付けろ」
そのまま振り向く事なく、男は歩き出す。やがてドアの軋む音がして、足音も聞こえなくなる。
俺は起こしていた体を再びシートに凭れさせ、シートと体の隙間に隠した探知機を取り出した。
画面中央に重なった二つの光点。その一つが次第に離れてゆく。
その二つの他に光点はない。また暫しの静寂と、安息が訪れたのだ。

「上手ク丸め込ンだナ」
床の上に寝転んで退屈そうにしていたオルトロスが、のそりと起き上がって俺に近付く。
「お人好しってのはああいう手合いの事を言うんだ」
探知機を鼻先に突き出すと、オルトロスは器用にそれを咥えて床に置く。
「タダのオ人好シで済ンダら、いいンダがナ」
オルトロスもあの男の掴み所のなさには感じるものがあったのだろう。男が出ていったドアの方に鼻先と視線を向ける。
「お人好しじゃ済まなくなる前に、手は打つさ」
奴は俺が殺そうとした男と面識があるのだ。二人に再会を許してしまえば、確実に敵になる。
本人に顔を合わせる気がないのが幸いだが、災いの芽は早めに刈り取らねばならない。
しかし――いずれにせよ、体力が戻ってからだ。
神父や他の強敵をゲームの盤上から取り除くためには、奴を利用する必要もあるかも知れない。
奴は真っ直ぐ南、蓮華台の方へ移動した。
ザインという男の方は、あの重傷ではそう動けまい。まだ夢崎区内にいるはずだ。
先に再会されてしまう可能性は低い。そして、俺の手の内には刻印探知機がある。
打つ手は、いくらでも考えられる。

俺は再び目を閉じ、シートに体重を預けた。
「オルトロス。俺はもう少し休む」
「ワカッタ」
魔獣が答える。が、冗談めかして付け加えるのも忘れない。
「誰か近付クか、放送ガ始まッタら起コシてやル」
「そんなに長く寝る気はない」
こいつも定時放送の事は知っているらしい。しかし、今の状況で六時間以上も眠っている訳にはいかないのだ。
「……三時間だ。今から三時間後、二時半に起こせ」
「ソレで足りルのカ? 休息ハ」
「後の憂いを除いてからなら、もっとゆっくり休める」
この街には電気は通っていない。日が沈めば闇で行動が妨げられる事だろう。
まだ日が高い内に、できる限り動いておくべきだ。
「マア、好キにしロ。オレは命令ニ従ウだけダ」
「そうさせてもらおう」
深く息を吐く。一度気を抜くとすぐにまた疲労が押し寄せてきて、眠りが意識を飲み込んだ。

微睡みの中、いくつもの記憶が浮かんで、消える。
「殺し合えだなんて馬鹿げてる。ここから出る方法を探して、みんなを助けるのよ」
気丈に俺を睨んだ少女。
「そんなものが、救世主であるものかっ!」
俺の使命感を、真っ向から否定した男。
「痛くも苦しくもない体に、って、何も怖くないって、神父様が。――そう、神父様が言ったの」
虚ろな目で呟いたヒロコ。
「死んでほしくないからさ。――誰かが手を汚さなきゃいけないなら、俺がやろうって決めたんだ」
そう言いながら笑ってみせた、仮初めの『仲間』。

ああ、実在するかどうかも定かではない神よ。
もたらすべき救いとは何だ。
メシアとは何だ。



【時間:午前11時半】
【ダークヒーロー(女神転生2)】
状態:極度の疲労・体力消耗
武器:日本刀
道具:溶魔の玉 傷薬が一つ 呪いの刻印探知機
  少々のMAGとマッカ(狩りで若干増えたが、交渉に使用した為共に減少)
仲魔:魔獣オルトロス
現在地:夢崎区/ムー大陸
行動方針:戦力の増強 ゲームの勝者となり、元の世界に帰る
  『神父』を倒すため、アレフと一時的に共闘(用が済めばアレフは始末)

【アレフ(真・女神転生2)】
状態:左腕にガラスの破片で抉られた傷
武器:ドミネーター(弾丸2発消費)
道具:地図のコピー
現在地:ムー大陸から真っ直ぐ蓮華台へ移動
行動方針:千晶・『神父』を初めとした無差別に殺人を行う者の殺害

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